仙台に暮らす心配性の男 #書もつ
ひとりの生活者として、当たり前に暮らしているはずだけれど、きっと僕たちのような単なる時間で区切られた仕事の仕方ではない。
作家という仕事をしている人たちは、一体どんなふうに暮らしているのか、考えているのか、見えているのか、とても気になっていた。
独特の視点がきっとあるはず・・やや期待して読み始めた。
そこには、仙台に暮らす作家の日常が見えてきた。出版されたのが2015年だった。始まりのエッセイは2005年に執筆されたとある。だいぶ古い感じもする。
全く油断していたけれど、初出と出版の間には2011年があった。その年、東北を、彼の住む仙台を襲った震災についても言及があった。
仙台ぐらし
伊坂幸太郎
伊坂の作品を読んだことがある人なら、その物語の緻密さとちょっとしたファンタジー感や、パラレルワールドな雰囲気(殺し屋とか)に、共感していただけるかも知れない。
書もつシリーズでも何冊か紹介しているはずなので、この投稿の最後にリンクを貼り付けようと画策している。
僕は、彼の作品を初めて読んだ時、口調や題材がそれを示していたわけではないけれど、何だか論文を読んでいるような心境になった。仮説としての設定があって、そこに実験や根拠を組み合わせて、最後に検証しているような不思議な収束感と達成感を味わった。
時系列をあえて組み替えて読ませたり、伏線をばら撒いたり、現代における小説の”やり方”みたいなものをこの作家の作品から読み取っていた気がする。
このエッセイを読んで、彼は常に自分の性格については心配性だと繰り返していた。彼の作品に通底しているのは、心配からくる緻密さなのかも知れない。とにかく、心配しがちで、心配ついでにその後の展開を頭の中で繰り広げる。
重要なのは、エッセイに書いているその頭の中の描写そのものはかなりベタな内容なのである。・・・ぜんぜん、作家っぽくない。
しかし、目の前のリアルな物事は良くも悪くも転がっていく。そこに筆者と同じように読み手もホッとさせられるわけだ。
あの震災があって、ふだんから心配していたような事態など風が吹くように飛んでいったことだろう。
被災地に暮らす人の不安と強さと、ある意味では異常な心理状態を感じさせてくれる、真に迫った・・けれど微笑ましいエッセイが何編かあった。
喫茶店で「また楽しいのをかいてくださいね」声をかけられたときの様子だ。思わず涙がこぼれてしまった。
あとがきにあるエピソードに、もはや小説的な世界で暮らしているのではと思えるほどに楽しませてもらった。こんな偶然があるのは、彼が生活しているからだし、仙台だからこそであろう。
なんという朗らかなエッセイだろうか。
そして、他人を見つめる視線はなかなか優しい。だから、ということもないが彼の作品に出てくる人々の正義感にはしつこさがないのかも知れない。きっと、彼が生活の中で出会った人々が投影されているのかも知れない。
最近、この作家の作品に触れることが減っていた。妻も好きな作家で、我が家のつましい本棚にも何冊か作品がある。
過去に書もつシリーズでも書いていた。
「SOSの猿」
「AX」
そうそう、これはまったく個人的で極めて単純な恥ずかしいような理由からだけれど、この作家の名前を、僕は一生忘れないだろう。
奇妙な終わり方だが、ご容赦いただきたい。