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明日来てくれるかな? #書もつ
小学生の頃の僕は、夏休みの始まりは大抵風邪を引いていて、学童保育を休んで家で過ごしていることが多かった。そんな時に、お昼のテレビ番組として観ていたのが「笑っていいとも」だった。
当時子どもたちが興じていたファミコンにも、その番組のミニコーナーだった「タモリンピック」のソフトがあった気がする。
子どもの僕は、番組の前半のゲストトークはあまり楽しくなかった。知らない大人が、知らない話題で笑っているような気がしたものである。
タモリもテレビにいる多くの”ただのおじさん”で、ドラマとかクイズ番組とかには出ていないけれど、歌番組の司会をやっている、そんなイメージだったと思う。
タモリと戦後ニッポン
近藤正高
タモリとは何者なのだろうか。
僕は芸能人に疎いから尚更だけれど、タモリに似ているとか彼の若い頃みたい、そんなタモリ的な人物はほかにいないような気がする。物心ついた時には、タモリは司会者としてテレビに出ていたような気がする。
お昼の番組と深夜番組で彼は活躍しているらしかった。そうして、タモリの存在感が二分されていたのは、大人になってから気がついたことだ。
とにかく趣味の幅が広い、といったイメージがあった。ことタモリのことを世間が改めて「すげぇ」と認知したのは、漫画家赤塚不二夫のお別れの会における、彼が読み上げた弔辞であろう。
「わたしもあなたの作品です」は名言だが、世間の度肝を抜いたのは弔辞として読み上げているように見えた手元の紙には、何も書かれていなかった、そのことだ。
読み上げていたのではなく、本当に語りかけていた。
本人は「めんどくさくなって、白紙も面白いと思って」などと釈明していたが、公式の場でそれをやってのける胆力こそ、面白さをこえて感動やリスペクトにつながっているのだろう。
僕自身、なぜタモリが赤塚不二夫に対して「あなたの作品です」と言ったのか分かっていなかったが、この作品に触れて、なるほどその通りであると納得したのだ。
多くの人が知っていることなのか、タモリの下積み…とも言えない、森田和義がタモリとして認知されていく時期には、様々な逸話があるのだろう。
個人的に親近感のようなものを感じているのは、タモリが大学生の時、早稲田のダンモ研(モダンジャズ研究会)に所属しており、トランペットを吹いていたことだ。
といってもトランペットはそれほどうまくならずに、バンドに付いてビータ(演奏旅行のこと)のMC(司会)だったというのは、知らなかった。
当時の大学生はイケイケで、タモリはダンモ研の演奏マネージャーとして辣腕を振るい、当時としては破格の収入を得ていたらしい。
世の中には、タモリがとても好きな人が結構いる。確かに、テレビで観る彼は思慮深いのか視野が広いのか多趣味なのか、独特の彼の言葉がある。
僕自身は、お昼の番組の記憶しかないのだけれど、言葉を言い換えて笑わせるアレとか、国語学者と一緒に出ていたあの番組、そして、地政学のフィールドワークを思わせるような旅番組もある。
これは僕の個人的な感想だけれど、彼はテレビの一番いい時代を生きてきたのではないかと思う。昨今、テレビは違和感どころか不信感を生んでいる。社会の架け橋であった役割から、社会を作りだそうとしているように見えて奇妙だ。
サングラスの奥の目は何を見つめているのだろう。カメラが去り、サングラスを外して趣味に興じる彼の姿は、これまでもこれからも観ることはできないだろう。
タモリの生まれから、その半生をたどっていく手法は、タモリの出自を知らない読み手にとっては、楽しい情報だった。そして、それは同時にそれぞれの時代に生きた芸能人たちを知ることにもつながる。
年齢は気にならないが、いまおじさんやおじいちゃん然としている人たちが、若い頃があって、それを楽しんでいた僕のような視聴者がいたんだなぁと、なぜかジーンとしてしまった。
昭和という時代、そしてタモリという人物に、思いを馳せる。読む人の年齢が上がれば上がるほどに、それは懐かしさであり、青春の一部を思い出させる装置にもなるかも知れない。
知っている方なら、ついあのフレーズを返しそう。印象的なサムネイル、infocusさんありがとうございます!
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