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誰にも聞かれてない「エッセイにおける一貫性」
少し前に、正直にnoteに書くのは、結構難しいと書いた。
それは、僕がなんとなく恥ずかしくて婉曲気味に書いたり、正直に書くことが憚られて、ちょっと言い回しを変えてしまっているから、そんなふうに思っていた。
noteを読み始めた当初、多くのスキを集めている記事は、どれもキラキラしているなぁなんて思って、それは美辞麗句とも言えるような、恥ずかしさというか胡散臭さのようなものを感じていた、と言うのもある。
それはもちろん、読み手の問題だし、書き手はとにかく素晴らしいことを書いていたのだけれど、それまで自分の書き方が、顔を知っている人に向けていたこともあり、言葉選びにある意味では色眼鏡がかかっていたのだと思う。
始めた頃、どうにもスキが欲しくて、どんどんフォロバしたし、ほかの人の投稿にもスキをしたり、タグを増やしたりした。しかし結局は、書いてある内容によって読んでもらえるのだと気がついた。
何百日も毎日更新をしているけれど、僕はいつまで経っても定まらないというか、説得力のようなものがとても乏しいように思う。説得するわけじゃないけれど、やっぱり読んでもらうのだから、少しでも自分の何かを差し出せるといいと思う。
賞をいただくのも、もちろんその功績はとても喜ぶべきものだし、選ばれる理由がある。ただ、僕はそんな文章が書けない。書くにあたって、色々と思い出してみたりもするけれど、記憶の補正の境界がわからなくなって、実は創作になっていた・・と言う投稿もあるかも知れない。
このところ、落ち着かないような、落ち着いたような日々が続いている。それは、家族がみなそれぞれに忙しくなったこともあるし、どんどん日々が進むのに、気持ちが進んでいないからなのかも知れない。
普段、朝の時間くらいしかついていないテレビも、夜に観ていることがある。子どもたちにも、内容がわかるようになってきたのだ。Eテレだけでなく、クイズ、バラエティ、そんな内容の番組を見ると、キラキラしたタレントが映り、とても楽しそうなのが分かるのだろう。
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誰も聞いてない「考えたことを書いている」マガジン
毎日更新をしている中で、気がついたこと、考えたことを書いている「誰も聞いてないけれど、お答えします」シリーズ。僕が考える「noteの街の歩…
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