最後まで読め、絶対に #創作大賞感想
むかし、ミステリー小説は一晩で読むべき、という読書論を目にしたことがあった。犯人が気になるから、ひとときに読み終えてしまってスッキリせよ、ということだろうし、記憶が鮮明なうちに物語を終えて現実社会に戻ってこい、そんなことかもしれない。
あれ?僕はミステリーが苦手だと思っていなかっただろうか。この創作大賞の期間中に、じっさいいくつもミステリーを読んでいることに気がついた。しかも、ほとんど”一晩”で。
もう、応援期間も最終日という日付に変わった頃、この作品をクリックしてしまった。猫たちを、呼んでしまった。
ミーミーさんの小説「ごきげんとり」を読んだ。
自分でも信じられないほどのスピードで読み切ってしまった。それは、なぜか。
読みやすい文体であるというだけではなく、展開がとても面白いし、時間の流れが自然なのだ。
動物の名前のような町が舞台になって、不穏なタイトルとヘッダー画像に心拍数が少し上がる。読んでみて、雰囲気を掴もう…なんて思ったが最後、書き手の恐怖の渦に巻き込まれてしまった。逃れられない怖さに、深夜のテンションも相俟って、スクロールする手が止まらなかった。
根子町に、乾家、他にも動物にちなんだ名前が使われていることに、書き手のユーモアを感じつつも、村に伝わる伝統行事にしてはキナ臭い、いや生臭い雰囲気に、真相を確かめたくなるのは人の常かもしれない。
かつては、人柱だとか生贄だとか凄惨な言葉でもって、人の命を昇華させていた歴史があるのかもしれないけれど、現代においてそれは殺人であり犯罪である。死んではいけない人々が、むざむざと姿を消されてしまうことが、異常だということにみんな気がついていないのだろうか。
1話ずつ語り手が変わっていくことで、読み手が感じる異常性がどんどん濃くなっていった。読み進めていけば、また誰かが死んでしまうのではないか、そんな怖さに襲われつつ、どこかに光を求めて最後まで突き進む。
転がるようにたどり着いた最終話、僕は大きく息をついた。ミーミーさぁぁん!!と心の中で叫ぶ。
伝統の継承は、時として異常性を伴うものかもしれない。疑うことをしない、比べることをしない、鵜呑みにする、変化を嫌う社会は、やがて衰退すると言われて久しいが、それを待っていられない社会悪のような存在を、僕たちはエンタメのように笑って眺めていたのかもしれないと思うと、ゾッとする。
登場人物の裏の顔を見せられるたびに、これが小説でよかった、と何度も思った。これを読まなければ、実は自分も加担している側に居続けたのではないか、とも思う。
夜中に読み終えてしまった僕は、どうにも寝られそうにないので、こうして書いて落ち着きたい。
必ず、最後まで読み切って欲しい作品。”おねこさま”は、あなたのすぐそばまで来ているかもしれない。