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あの震災は、あの震災とは違う
ここnote書いた話をめぐって、あるクリエイターさんとやりとりをさせていただいたとき、「あの震災」の言葉の意味を知ることとなりました。
あの震災・・僕は10年前の東日本大震災のことを指していました。記事の内容も、時期的にも、当然のことのように考えていましたし、それは相手方にも共通の認識であろうと思ってのことでした。
でも「あの」と書いたとき、きっと強い記憶から思い起こすはずです。それから、文脈にあっていると思われる「あれ」を選び出し、考えを修正するような間があって、お互いの「あの震災」をすり合わせているのではないかと思うのです。
それに気が付かず、僕は「あの震災」を東日本大震災として使っていたのです。
地震大国だなんて、不名誉な呼び名もあるくらいに、地震がおおい国であることは知っています。でも、目の前の相手がどんな地域で生まれ、暮らしてきたかわからない(少し知っていた)のに、ひとつの震災だけを表すことは簡単だけれども、丁寧ではなかったなと感じました。
ちなみに、相手の方は「阪神淡路大震災」を思い浮かべた、ということでした。被災地となった土地にお住まいで、地震によってご自宅が壊されてしまったという、壮絶な記憶を教えてくださいました。
関東に生まれ、育ち、働いている僕は、いつでも大震災はテレビの中の世界という感じでした。それは、運がいいことなのか、それとも悪いことなのか分かりませんが、少なからず自分や近くの人の命を意識するとか、抗えない自然への畏怖と感謝のような、複雑な気持ちを体感することができないでいるのです。
もちろん、誰ひとりとして命を落としてはならない、とも思いますし、みんなで助け合うことの美しさの裏の苦しさも、仕事や暮らしの中で見つめたことがあります。
相手の方が思った「阪神淡路大震災」の当時、僕は小学校6年生でした。
所属していた委員会(たしか、福祉委員会という名称でした)の活動として、校門に立ち「募金」を集めたり、不要になった学用品を全校で集め、被災地に送った記憶があります。
数日前に投稿した話で、公務員に転職した初年度に東日本大震災が起こったことを書きました。その時も、募金を集めたり、物資を集めて被災地に送る手伝いをしました。
当時「あ、小学校のときにやってたな」と思い出して、不思議なつながりに、じんと感慨を覚えました。誰かがやること、誰かにやってもらうこと、誰かとやること、いつの間にか仕事として関わるようになったことが、嬉しくもありました。
あの震災・・が、暗く厳しい記憶であることは承知の上で書いています。
僕は、あの震災が、自分の成長のきっかけでもあった、と思っているのです。
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