マカナをあなたに #創作大賞感想
素晴らしい物語に出会うと、僕はたいてい、書き手ってずるい、と思ってしまう。この作品もそうだった。ずるい。
先が気になる展開と、終わってほしくない魅力的な場面の数々に、ただただ没頭できることが嬉しかった。
夜、ようやく子どもたちが寝静まって、夫婦で家事をしながらそれぞれの過ごし方をしている時間。そろそろ眠くなってくるし、この作品が読み終えられるのだろうか…それは、まったくの杞憂だった。
とき子さんの「メリー・モナークin大原田」を読んだ。
始まりから、僕はあの日のことを思い出していた。それは十数年前、父親がガンの診断を受けた日のことだ。(緊張を強いる必要がないので、先に書いておくが、父親はいまも健在である)
夏風邪が治らない…、心臓がドキドキする…、なんとなく元気のない様子が1年近く続いていた。近所のクリニックで、たまたま血液検査をした時に、数値が悪いと告げられて、紹介状をもらい大学病院に行った父。
その日のうちに入院することになり、ことの大きさを家族全員が知ることとなった。僕は、転職して2年目で実家に住んでいたが、まさか父がそんなに具合が悪いとは思ってもいなかった。幸い、転移などもなく、手術で取り去って、多少の投薬治療で回復ができる見立てだった。
手術後に、摘出した患部を見せてもらったが、どす黒くモリモリとした肉の塊だった。大人の靴くらいの大きさがあった。
不謹慎極まりないが、僕の性格として「最悪の状況を想像しておく」癖がある。この時も、父が亡くなってしまうというストーリーを想像しては、しっかりしなくては、と自分自身を鼓舞していた。いい意味で、それは無駄な時間になった。
家族が、大切なひとが大きな病気にかかった時、あまりに無力な自分に打ちひしがれる経験をしたことがある人は少なくないだろう。自分ができることならなんでもやるから、どうか助けてほしいと祈った人もいるだろう。
この物語には、その祈りが、フラを踊ることで表現されていた。とはいえ、物語は非常に明るく、軽く、コロコロとすすむ。行ったことはないが、きっとハワイの現地の雰囲気はそんなふうなのだろうと感じた。
病気のことなんて忘れてしまうくらいに、病気そのものの描写はない。むしろ、家族がそれぞれの反省を胸に母親への思いを遂げようとする姿勢には、何度も涙が溢れてきた。
ドタバタ劇だと思って読んでいたら、いつの間にかヒューマンドラマになり、青春や友情に胸を熱くしていると、最後には壮大なショーを見ているような感覚になった。
書き手の、細やかな配慮が感じられる滑らかな文体と、小気味良い比喩表現が、僕はとても好きだった。
さまざまな関係性も、現代的の仕掛けがハマって、無理がないところは、さすがの一言。語り手の視点は、登場人物のきょうだいが交互に入れ替わる工夫によって、映画を見ているような臨場感があった。
フラのことなど何も知らない読み手でも十分楽しめたのは、言葉の説明があったからだけではなく、フラだけじゃない魅力が散りばめられていたからだ。反省と葛藤、諦めと決意と、もう盛りだくさん。
一世一代のフラッシュモブ、それは読み手をも巻き込むような、驚きの連続だった。こんな作品を読んでから眠りについたら、きっと夢に出てくるかもしれない。どのシーンが出てくるだろうか、どんなシーンでもいい。結末は分かっている。
マカナ…ハワイ語で「贈り物」の意。