礼拝堂の天井に 【創作】
・・暑い。スマホを握りしめる手にも汗が。
空気は乾燥してるけれど、日差しが強い。日本はゴールデンウィークの時期だけど、イタリアがこんなに暑いとは。
行列に並びながら、スマホをいじる。汗が垂れて、画面に雫が落ちる。指で拭うと、汗は広がって、ますます見えなくなってしまった。
世界中からの観光客で、ふだんから2時間以上の待ちだという。
世界で一番小さな国、バチカン市国。イタリアのローマ市内にあり、カトリック教会の「総本山」として、ローマ教皇によって統治されている国家。
建物すべてが大きくて美しく、教科書の中に入ってしまったかのような錯覚に陥る。
来てよかった。
半年前から計画していたイタリア旅行が、まさか、ひとり旅になるとは思ってもいなかった。
一緒に行くはずだった彼女は、あまり残念がっていなかったが、バチカンから絵葉書を送って欲しいと言っていた。
バチカンからの郵便には、天使の消印が押されるらしい。美術館のなかにも郵便局があるようで、絵葉書も入手できそうだった。
バチカンの宗教的で高尚な雰囲気の中にあっても、ミーハー心は健在だ。いつかの「紅白歌合戦」で観た”礼拝堂”の本物が、バチカンにあるという。
システィナ礼拝堂。美術館とつながるその場所は、多くの観光客が訪れ、その天井を仰ぎ、驚嘆する・・とガイドブックが教えてくれた。
美術館の人混みへの不快感は、壁一面に飾られた絵画の圧倒的な存在感によって、帳消しにされてしまった。
絵画そのものの歴史的な価値と、飾られている場所が数百年変わっていないという説得力に、足がすくんでしまった。
日本では感じたことのない、美術と時間の一体感に、単なる海外旅行ではなく、時間も旅行しているような感覚。
階段を登り、人混みに揉まれるように礼拝堂へ入った。
装飾画に、神話に、囲まれた。
これまで観てきた絵画とは格段に違う。絵というより、写真のようだ。
礼拝堂は、訪れた人々がみな祝福されていた。
天井を仰ぐ視線の先に、一本の指が見えた。
わずかに届いていない、手と手。
差し出された、指と指。
指よりも先に、視線はしっかりとお互いを見据えている。一体、どんな場面なのだろう。
彼らは、手を繋ごうとしているのか、何か指図を受けているのか、それとも意思疎通を図ろうとしているのか、助けを求めているのか。
分からなかった。
ひとり旅は気楽だけれど、こういう時、誰とも話せないのは寂しい。ガイドブックでも、インターネットでも、正解はすぐに探せるけれど、会話はできない。
写真を撮って、彼女に送ろうとして、やめた。
絵葉書にしよう。
口には出せないけれど、手紙には書けそうだから。
新婚旅行の下見に行ってきたよ。
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