眠れない夜と、眠っている下書きと #創作大賞感想
最近、夜中に起きてしまうことが増えた。子らの寝かしつけ…からの寝落ち、そして大体3時間程度の睡眠時間ののち、目が覚める。大体そのあとは、また目を閉じていれば5時くらいになっていたりするのだけれど、今晩はそうもいかなかった。
先週からずっと続いていた下の子の体調不良が、ようやく落ち着いてきたけれど、上の子や僕たち親が、空咳をゴホゴホさせている。普段の風邪でも咳を出すことがあまりなくて、それが何日も続いているというのもあまりない。
季節の変わり目で、職場のエアコンが僕の適温ではないのだと思う。
端的に、寒い。
だからカーディガンを着ているのだけれど、昼休みになると身体が冷えて固まっているような感覚になる。着替えて外に出ると、むっとする暑さがむしろ心地よい。その後走ると、今度は汗だくになって、エアコンがありがたい存在になるのだけれど。
そんなわけで夜中に起きて、熱めのお湯を張って体をガッツリ温めてみた。体力が回復するのか、体調が回復するのかはわからないが、とにかく気分が良い。
琲音さんが、ある投稿をされた。琲音さんは、ご自身のこと、ご家族のことをエッセイにされている方で、僕をフォローしていただいたり、ともきちさんのメンバーシップでもご一緒している。
この投稿を読んだとき、あぁこれが答えなのかもしれない、と思うことができた。数日前に、僕が今までで一番時間をかけて書いた下書きが、今のタイミングでは投稿できないと判断したことがあった。そのことを琲音さんはご存知だった。
結婚すると、自分だけでなく相手のことを心配することが増える。さらに子どもが産まれると、子どもたちそれぞれに心配事や心配してもどうにもならないことがある。普通だと思っていたことが、悉く打ち砕かれるような状況に接することが何度も起こる。
しかし、時間がたてば成長とともに心配を追い越してしまったり、自分自身の記憶にも残らないかもしれない。それをエッセイとして残しておきたくて、書き始めたのが去年の今頃だった。
琲音さんの投稿のタイトルは流れてきていたが、読むことができずにいたら、フォローしている、おだんごさんが教えてくれた。
「琲音さんの投稿、もつさんへの贈りnoteみたいですよ」と。
”贈りnote”は、おだんごさんの企画で使われていた言葉で、誰かに宛てた手紙のようなnoteのことだ。
そこには、琲音さんの旦那さんのことが書かれていた。似ているとか似ていないとか、そういうことではなくて、妻からみた旦那さん像のような視点に救われた。ご家族として進んでいく道のりの力強さを感じて、励まされた。
読みながら、自分たちもよくやってるよ、なんて感じたことをコメントにそのまま書いてしまった。
琲音さんからのお返事には、こうあった。
「贈りnoteを、と思って書いてしまいました。」
励まされた…なんて烏滸がましいことを書いてしまったのだろう、と思った。励ますために、ご家族のことを書いたのではないだろう。2年もの間、下書きにいて、投稿することにも戸惑ったり、何度も何度も読み返しては推敲して迷っていたはずだ。投稿したあとも、それでよかったのか、と思っているだろう。
しかしそれを飛び越えて、こうして読ませていただいたことで、僕だけでなく、間違いなく多くの人が勇気づけられている。コメントにもあったけれど、膨大な長さの月日を、たった数千文字で表せないのは、どの家族も同じ。頷きながら、まだまだ経験も言葉も、僕には足りないと思った。だから、もっともっと書きたいし、読みたい。
下書きに眠っている僕の投稿は、いつか読んでもらえるだろうか。