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SNSがなかった頃通勤電車に乗る人々は何をしていたんだろう

ぎゅうぎゅうの満員電車。
朝も晩も、みんな箱に詰められて仕事へ向かう。
人と触れ合うことは避けられない。
なんなら少し前の人に寄りかからないと立っていられないことだってある。
息が詰まる。
空気が薄い。

そんな中みんなはスマホを見ている。

なんせ触れ合ってる距離感なもんだから、悪気なくつい前の人のスマホの画面が見えてしまう。

ゲームをしてる人、SNSを見ている人、YouTubeを見ている人、Netflixを観ている人、本を読んでる人。
みんなそれぞれ、スマホで何か見ている。

中には新聞を広げているおじ様や、本を片手に今日にバランスを取っている人もいる。

でも8割の人はスマホを見ている。

「スマホがなかった時代、電車で通勤通学している人は、この時間をどう過ごしていたんだろう」
東京で働く人の中には、隣接県から通っている人も多いだろう。
そうなると1時間、もっと言えば2時間くらいかけて通っている人は少なくないはず。
私は東京郊外に住んでいるから1時間かかる。

この人で押し固められた箱の中で、スマホはとても便利なもの。
手のひらサイズで動画も見れるし、本も見れる。勉強だってしようと思えばできる。
でも何となく私は、この時間を無駄と感じてしまっている。
それは何気なくSNSを徘徊し、YouTubeを観て、なんとなくスマホをいじっているから。
ショート動画やリールなんて永遠に見れる。
もちろんSNSから得られるものもあるけれど、通勤時間の全てをそれに使わなくてもいいよなと思う。
そう思いながらいつも見てしまう。

じゃあ、スマホがなかった時代の人たちはどう過ごしていたのか。
とても気になる。
私がこんな満員電車を経験したのは割と最近だから、スマホというものが普及していない時代の満員電車を知らない。

新聞を読んだり読書をしたりする人はいただろうなと予想がつく。
友人と乗車していれば話に花が咲くだろうし。

でもそうじゃなかったら、人々は何を見て、何を思って電車に乗っていたんだろう。

車窓から見える景色?人間観察?今日の反省会?

たまにスマホを見たくないくらい疲れている時がある。
そんな時はイヤホンをつけて、ノイズキャンセリングをONにして、目を瞑る。
人の圧を感じながら電車に揺られる。
フル稼働した頭と心少しずつOFFにしていく作業を電車でしている。

スマホが普及して、情報社会になり、良くなったこともあれど、刺激も多くなったように思う。
見なくてもいいもの、知らなくてもいいものが嫌でも目に入る。
スマホは時間泥棒。気づいたら数時間経過してしまう。
高ぶった自律神経を落ち着かせるには、情報から少し離れなければいけなかったりする。
(可愛い赤ちゃんとか動物の動画とかで癒されることももちろんあるよね、わかる。それは見よ。)

必要も無いのに、情報の波に自ら溺れにいっている感覚がたまにある。
みんなは、ない?

田舎で育った私には、都会の電車に揺られる時間がとても苦しく感じることがある。
疲れている人々に、さらに追い打ちをかけている環境。
そこにいることも、そこにストレスを感じている人を見ることも苦手だ。

朝は、みんなおはよう、今日も程よく頑張ろなという気持ちだし、帰りは、みんなおつかれ、早くお風呂入って寝よな の気持ち。

もしこの記事を読んでいる方で、スマホが普及する前の電車内の人々を知っている方がいたら、ぜひご教示いただきたいです。
人々があの空間をどう過ごしていたのか。

以前も似たような記事を書いていた。
この記事、なぜかとても読まれていてびっくり。
読んでもらえるって嬉しいなぁ。

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