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星の降る夜
山形で撮った写真と動画がメモリいっぱいになってしまって、今日はデータ整理に一日中パソコンとにらめっこだった。
夕方、茅葺の仕事が終わった友人たちが帰ってくる。これから犬の散歩に赤川に行くよ、というので、私も夕暮れの散歩に出かけることにした。
オレンジ色に染まった空を眺めながら、川沿いをのんびりと歩く。カラスが太陽の沈む方角に、一羽また一羽と飛んで行く。川には小魚が泳いでいて、時々遠くの方でぱしゃんと跳ねる魚がいる。大きい魚が下にいるのだろうか。太陽がいよいよ沈み、木々や家々が、影絵のように浮き上がる。月山が桃色に染まっている。
久しぶりに見る、庄内の見事な夕焼けだった。
「今日は空気が澄んでいるから、星を見に行こう。」
散歩から帰って夕飯の支度をしていると、隣で友人が嬉しそうに、空を見上げて言った。
夕飯を終え、夜8時過ぎ、コーヒーを水筒にいれて、椅子とマットを荷台に積み、月山へと向かう。羽黒山の方へ来るのは、久しぶりだった。
夜、山の方はほとんど街灯がない。山道を登りながら、車のライトが、森の鬱蒼とした茂みを照らし出す。今にも熊がでてきそうだった。
真っ暗な中にも、よく目をこらすと、黒い森と、その上に広がる藍色の空。そして、見事な星空が広がっている。
私たちは月山の麓の駐車場に車を止めると、マットを敷いて寝転がった。
「わー!」
見上げると、空いっぱい、満天の星。数え切れないほどある。
降ってきそうなくらいだった。
天の川がくっきりと流れている。
二人とも言葉を失って、しばらくじっと眺めていた。
都会にいたら見ることのできない、見事な夜空だった。
「不思議だよね。ものすごい離れているはずなのに、なんでこんなに見えるんだろう。数百メートル先のものだって、いつも見えないのに。」
「きっと、ものすごく大きいんだね。」
久しぶりに、すぐそばに宇宙を感じた。
無限に広がっている宇宙の、そのなかの小さな一つの星の、そのなかのまた小さな小さな日本という大地の、そのなかの山形の、月山の、ここにいる小さな私たち。
でも、そんなミクロな私たちが、とてつもなく大きな宇宙を見て「美しいね」と言っている。
なんだか、次元がよくわからなくなる。
淹れてきた温かいコーヒーを飲みながら、友人と様々な話をする。人生のこと、地球のこと、宇宙のこと。山の気温はもう11月くらいの寒さだった。
話している間にも、
「あ!流星!」
と、目の前をスーッと星が流れていく。
宇宙という広大な時間を前にして、私たちの生きる時間なんてほんのわずかだ。
それでも、生まれて死ぬ、その間にある「日々」という空白の中に
私たちはさまざまなことを見出して、喜んだり涙したり、せわしない。
「もうちょっと肩の力を抜いていきたいよね。」
「でも、きっと頑張っちゃうんだろうね。」
笑いながら、私と友人は、遠くに見える街の灯に歓声をあげつつ、もと来た山道をくだっていった。
芯まで冷えた体を温めるため、帰ってホットミルクを淹れる。
ああ、こんな幸せが一番だ。
どうか、こんなささやかな幸せを
大事に
これからも日々のなかで
紡いでいけますように。