落胆
これも、まぁ、ただの愚痴だ。
宣伝も兼ねて、これが昨日一昨日とアップロードした動画だ。
内容としてはニーチェ哲学を基に、無気力感について哲学的に分析していく動画だ。
お時間のある人は是非見てみて欲しい。
などと言いつつ、まぁ当然と言うかなんというか再生回数は全然回っていない。二日経って20数回(途中離脱多数)という状況。最後まで見てくれた人はほんの数人だろう。
まぁそれは当たり前で当然で、予想されていたことだ。始めたての素人が素人感丸出しのプレゼンと編集で、ロクなサムネも付けずにアップロードして沢山見てもらえるわけでは無い。それは内容の良し悪しに関わらず、だ。
分ってはいたが、やはり落胆はある。
「現時点の俺に出来得る限りでいえば」という前提が付くとはいえ、その出来には80点を出していいと思う程に頑張った方なのだ。特にプレゼン内容は満足のいくものだったし、やりたいことだったし、パワポとかはむしろスマートアートとかのおかげで期待以上にそれっぽくなったつもりなのだ。
時間をかければいいってものではないとはいえスライド作りや編集時間を全部合わせると20時間くらいはかけているだろう。あの合わせて30分強の動画達のために。
それでも当然のように、突然バズったりはしない。
そもそもサムネをちゃんと作っていない時点で見ようと思う人は激減しているだろう。
分っていて尚悔しさではなく落胆が大きい辺り、やはりまだ俺のどこかに傲慢さが残っているのだろう。
「分かる人には分かるくらい深くて核心を突いた話が出来ている」
「だから天運があればきっとそういった人の目に留まって、高く評価して貰えて局所的にバズるはずだ」
そういった傲慢な期待があることを最早否めない。
分っていて尚、俺の心を折らない為に必要なものだから、自分自身を咎めるつもりは無いのだが、やっぱり我ながら失笑をせざるを得ない。
悲しいほどに、情けないほどに、俺は浅ましい人間だ。高潔ではいられない。ストイックにはいられない。誠実では、公明正大では、博愛的ではいられない。ただただ頭でっかちなだけの矮小な人間だ。
今だってそうだ。正攻法は見えている。
今やるべきは動画編集を、或いはサムネ作りだけでもお願いできる人を探して、お願いして、報酬を払ってそのために生活を切り詰める事だ。
何回か試して分かってきたが、当たり前のようだが動画編集には時間がかかる。その実感が湧いてきた。可能であればその時間はスライド作りに回したい。だがそれは無理があるから自分でやるとして(幸いにもそれなりに楽しめはしている)、サムネだ。サムネが圧倒的にハードルになっていることを自覚している。
性格的な物もあって、あまりに堅いサムネ(画像+文字)しか思い浮かばないのだ。YouTubeでよく見る、目を引く柔らかいサムネというのが思い浮かばない。今回だって結局動画画面をそのまま貼り付けたままで投稿することになった。
そう、ここは俺に適正の無い所なのだ。故に誰かに頼むべきポイントなのだ。だが俺はまだ怖気づいている。
「相手の迷惑にならないか、負担にならないか」
「頼んだ結果期待レベルのモノを作ってくれるのか」
「それを担保するためにはちゃんとした報酬を払わなければ」
「でも人に報酬払うために節約出来るかというと……」
そんな所でグルグルしている。
そして挙句の果てに、俺の考えに賛同して力になりたいなんて言ってくれる人が来てくれないかなんて幸運に期待している。
本当に愚かで笑えて来る。望外の幸運なんてやってくるわけがないのに。狙って行動して、それを積み上げてようやく幸運というのは引き寄せられるものだ。リャンメン待ちを作るからツモれるのだ。カンチャンが飛び込んでくることは無い。確率は2倍ではない。0では割れないのだから。
それに結局賛同して応援してくれる人を期待するというのは責任の放棄に他ならない。相手のやりがいに期待して、自分でコントロールできない要因に自分のメイン事業のエントランスを託すということだ。それは責任の放棄に他ならない。楽をしようという弱さに他ならない。
ここ数日、ずっとそんな感じだ。
期待しかけて、その感情の根本を自嘲して、でもその弱さは肯定しつつ、なお自分を戒めようとして、行動できずに期待する。
はぁ……
空から女の子振って来ねぇかな…… 現ナマでもいい。
もういっそ親方(無償で技術とか才能を与えてくれるオッサン)でもいい。
弱ぇな、俺。
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