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思い入れがないものを頑張り続けなくてもいいというお話

未熟な文かつ長いですがあしからず。

本稿は大学に入学して急に自由になった私が、自由に行動した結果、人生で初めて自分の選択をミスり、生き方に迷い、悩みぬき、身をもってひとつの教訓を得たエピソードである。


◇◇◇

私は中高一貫の学校に通い、決められたルートを進んでいた。大学も、成績である程度絞られた中から選んだから、あまり迷わなかった。生活の中で、自ら「選択」することが殆どなかったといってもいい。

しかし大学に入学し、自由になった。学ぶ内容も、所属団体も、付き合う人も。自分の行動何もかもが自由になった。

入学当初は特にやりたいことがなかった。しかし何らかの団体には所属したいと思った。中高でオケ部に入ってたけど、さすがに6年間やったのでもう良いかな~なんて、パンフ見ながらどこに入るか迷っていた。

結果、体育会系の部活に入った。

なぜ?

実は私は元々運動は苦手だった。

だからこそ、運動に対して抱く苦手意識を克服をしたいと思ったのだ。そして、やるとしたら個人競技だった。ストイックに毎日力をつけていくのは自分の性格に合うと思った。また部員の雰囲気が良いのが気に入った。


しかし、結論から言うと私は打ち込むことができなかった


なぜかって、私にはもともと「スポーツをしたいという内なる情動」が、なかったから。(本当に部員には申し訳ない。)

体育会系に入った動機は「苦手なモノを克服したい」「何か自分の強み(特技)を作りたい」「雰囲気の良い組織に所属したい」こんなもんだった。「その競技そのものがやりたい」ではなくて、まあ対象は何でもよかったのだ。当初から軸足がズレていた

私は中高、なるべくスポーツを避けてきた人間だ。得意ではないから周りに迷惑をかける対戦が嫌だったし、体育の球技ではパスが来ないことを願っていた。失敗ばかりってのは純粋に楽しくなかった。そんな私が体育会系を選んだのは、いわば「挑戦」であり「自分自身に背を向けた」ともいえる。

今思えば当時はまだ人生において「選択する」ということに慣れていなかったから、様々な面を具体的に考慮する作業が欠けていたのだと思う。


身も蓋もないことを言うが、私は入部して半年たった時点で、正直、この練習週3くらいでいいなと思っていた。(当時では口が裂けても言えません)というか、趣味にできるくらいのうまさで全然よくて、アスリートのようにテッペン目指していく気持ちがなかった。何で闘志が湧かなかったのかをロジカルに説明するのは難しい。

その頃はすでに競技初心者同士で失敗しながらワイワイ練習できる時期は終わり、一年生の間でも本気で日本一をとりにいこうという士気が高まっていた。「先輩が優しかったから」こんな理由で入った友人たちも、練習を重ねて上手になり、先輩みたいになりたいというやる気で顔がみなぎっていった。レースで勝つために、自主練を陰で重ねていた。キツイといわれる特訓だって、皆「嫌だ~」と嘆いていたけど、内心やる気満々だった。

と同時に、私はどんどん皆と心の距離が離れていくような気がした。

私は多少うまくはなったものの、依然としてトレーニングの時間に練習するだけ。終わったらすぐ寮の部屋に戻る。自主練をしようなんて発想がまずなかった。問題児過ぎる。笑

要するに、入部してある程度の時を経て、皆は自分を律し成長させる域に達したのに対し、私はいつまでも「与えられたことをやる」の域を脱することができなかったのだ。

当たり前だ。根底にあるモチベーションの質が違うし、何よりスポーツ自体そんな好きじゃない。サークルならまだよかったかもしれないが、部活ではほんとうの自分を殺すことなんてできなかった

私がどんどん休みがちになったところに、大規模なレースが近づいてきた。

レースで勝つために練習、講習、整骨院などに皆が自主的に取り組み始めた。その横で私は、「レース出たくない」って思っていた。練習がたるいとかではなかったんだけど、「レースで勝ちたい」という内なる情動が見当たらなかった。士気を下げるような行動はしなかったけど、自らすすんで練習に励むことはなかった。

モチベーションの差が明らかに可視化されるようになったこの時期、私は部活を辞めた

実際に辞めるまではここに書ききれないほど悩んだし、部員と色々あったし、本当に迷惑をかけたとは思っている。自分の好奇心と苦手なものをなくしたいっていう変なストイック精神により、組織に迷惑をかけてしまった。

しかし、自分的には辞めてよかったなあと思う。辞めた後は好きなものをかいつまんで自分らしく生きることができた。(また次の記事で書きます)


◇◇◇

仕事ならともかく、大学は何をしてもいい時間。無限の自由がある。本当の自分を殺す必要なんてない。まあもともとは苦手意識を払しょくするために始めたんだけど、それにも限度があったなあという。

一番得た教訓は、「直感って大事」だなあってこと。

本稿の例でいったら、競技に対して直感的に+の感情を抱きますか?とかそういうこと。

スポーツに対して自分の中でプラスのイメージがある(成功体験が多いなど)なら、「雰囲気の良い組織に所属したい」、こんな動機でも全然よかったのだと思う。元々好きなものは、頑張れると思うから。しかしスポーツに特別な思い入れがない場合…相当強い意志を持っていないと続けられないな、そう思ったのである。


もちろん、競技にとどまらず、私たちの生活全部に当てはまる。

もし何か行動を起こそうとなったとき、ぜひ未来におこる具体的なことに関して自分の直感に問うてみることをおすすめする。編集者になるのカッコいいななんて思ったなら、「そもそも文を書くのは好き?」「読み物は好き?」。留学しようって思ったなら、「外国に興味はある?」「辛くても、英語力の向上を楽しめそう?」って。

直感的に-なら、長く続けることはなかなか難しいかもしれない


なにも、自分が思い入れないものを頑張る必要はないと思う。自分に嘘はつかない方がいい。可能なら「やりたい」という情動が無意識に沸き起こるものをやってる方がいい。夢中になれるもの。気持ちも楽だし、経験上パフォーマンスとも比例する。

もし苦手克服するために挑戦したいなら、まずは自分のできる範囲から。最近は、仕事で求められない限り、苦手克服なんて無理にしなくていいんじゃないかなという考えに変わってるけどね。

だって世の中にはこんなに人がいるんだから。好き嫌い、得意不得意の差は当たり前。適材適所で自分の役割を果たせれば、オールオッケーです。

◇◇◇

ちなみに些細なことだが、最近またこの思いを強く感じさせる場面があった。私には逆にスポーツが得意な彼氏がいるのだが、彼はよくサークルで練習試合をしている。私が「いつもすごいね~楽しいの?」と聞くと、一言。「楽しいよ!

こんなの当たり前と思う方も多かろう。しかし、私は「あ、そういうもんなのね」と妙に納得したのだ。私は試合が楽しいって思ったこと、ほとんどなかったから。そもそも皆は、楽しんでたわけね。そこに大きな差があるということを見落としてた気がする。無理に楽しくないところに突っ込んでいく理由がなかったわ。笑

◇◇◇


最後に、この話は私の変な性格が巻き起こしたことだし、必ずしも皆に当てはまるとはいえないです。また、好きなことやろうよなんてのんきなことを、と反感に思われた社会人の方がいたらごめんなさい。

しかし、未熟な私が人生で初めて自ら選択して、身をもって修正していったこの体験ってすごく貴重なんじゃないかと思って書きました。

どこかで役立てればうれしいです。





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