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私の愛着障害について。

私の愛着障害に関しては、まだカウンセリングをしながら探っています。
こんな歳になるまで、自分自身の事が全然解っていなかったんだということに事に気付きビックリしています。
私は、どちらかと言うと自分の信念を持っている方だと思って生きていたし、自分の意見をハッキリ言いすぎるぐらいな方だと思っていました。
なので自分のことは、どういう人間なのかわかっているつもりでいました。

でも今では、自分が何をされたら嬉しいのか、とか、何をしてると楽しいのかとか、何をされたら嫌でなぜ嫌なのか、本当によくわからなくなっていました。
ただ、無意識に我慢をする癖がついていて、それを解消する術が、爆発してパニックになることでしかありませんでした。

私は母子家庭の一人っ子で育ちました。物心付いた時には離婚していたので、写真でしか父の顔は知りません。
母は、スナックのママをしていました。お酒が入ると絡み癖の悪い母。男性にもだらしなく、色々なお客さんが家に泊まることも、ありました。2人で裸で寝ているのを小学生の時に見たこともありました。

『なんでも自分でやりなさい。私がいなくても生きていけるように』それが母の口癖。お陰で、大体のことは一人でこなせてしまう方なので、他人への上手な甘え方や頼り方がわかりません。
他人との正しい接し方も・・・。

小学3年生くらいの時から、母に特定の彼ができ、私の大反対を無視されて一緒に住んでいました。

簡単に言うと精神的ネグレクト。
親戚中からも母は嫌われ者で、いつも親戚から『可哀想』と直接言われ続けていました。

これを拗らせてしまい、強迫性障害や反復性鬱になったようです。

何歳になっても、何があった訳でなくても不安感が続いていました。
何かがあった日には、体に異変も出ていたので、仕事をバリバリしていた時は、自律神経を整える為に整体に通ったり、プラセンタ注射をしていました。

ポジティブにならないと・・・と、とにかく必死に自己啓発の本を読んだり、動画を見たり、セミナーに行っていた時期もありました。

結局消化出来ないまま、ある時を境に自己肯定感が無くなり、外出が出来ないまでになってしまいました。回復にすごく時間がかかっているので、もっと早く良い病院を探すことに全力を注いでいれば良かったかなと、今となっては思います。

過去に1年半の間、メンタルクリニックを3件転院して、良くなるどころか、凄い量の薬を飲んでいた経緯があったので、トラウマになって行けなかったというのもありました。

この辺りの話も、後々書きたいと思います。


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