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【特別展】はにわ@東京国立博物館

2024年12月6日

挂甲の武人が一同に会す!ということで注目していたはにわ展。
この東博の展示への興味を皮切りに、東京近代美術館の『はにわと土偶の近代』の展示へ訪問。

更にこの展示の予習もかねて、『さきたま史跡の博物館』へも行き埼玉の古墳を見て体験。

市原歴史博物館の『旅するはにわ展』にも訪問。

この一連の24年冬のはにわ展示を締めくくるにふさわしい東博の展示だった。

津々浦々のはにわが勢揃い

「はにわ」というキーワードから展示を広げていくのだが、やはり自分が義務教育の「歴史」の授業を受けた頃からかなりの考古的研究が進んでいるようで、ぼやけた感じに紹介されていた地方豪族の関係性なども少しずつ明瞭になってきているのであろうか、という感じがこの一連の展示の観覧から見えてきている。(単純に当時は深堀りしてなかっただけの可能性もあるが)

館内は5章で区切られ、はにわにまつわる古墳と当時の豪族の関係性、そして地域性などを各々紹介されていた。
埴輪を基軸として論が展開されているので、見やすい展示であった。
そして目玉展示の挂甲の武人5体の揃い踏みはなかなかに、ここぞ!という感じがして非常に良かった。

各章を微細に紹介しているとあまりにも膨大になりすぎるのである程度かいつまんだものを紹介。
まずプロローグから。

踊る人々

THE 埴輪。のイメージであるこの埴輪、踊る。と銘打たれているが実は馬を曳く人物の形象埴輪もあり、実は踊っているのか、馬を曳いているのか確証はない。

馬を曳く人の埴輪、左手を上にあげている

とはいえ、この埴輪が世間に与えたイメージは絶大で、シンプルな3つの点で顔を表し、そして最小限の手の造形で人を示すという埴輪という単語に与えたイメージは計り知れない。
場内の音声ガイドもこの踊る埴輪(大)と(小)を各々石田彰と森川智之が担当していてこれもまた楽しく聞けた。

1章では九州の江田船山古墳、近畿の東大寺古墳そして群馬の綿貫観音山古墳から当時の豪族の副葬品から国宝をずらりと並べて古墳時代の研究をまずは国宝を通して見てもらおう!という狙いが見れる展示だった。

金象嵌銘大刀

やはりこの時代の銘が彫られている大刀、鉄剣というのは銘から年代が同定できることからかなりの確率で国宝、あるいはそれに準じる形の扱いを受ける。
まだ国産の文字がなかった時代にこのように文字情報が残るのは希少であろうという認識を強烈に印象付ける国宝であった。

金銅製沓

これもまた当時の日本の文化交流を示すものとして展示されていた。
この沓の形状は朝鮮半島から入ってきた形状のため、そのような文化交流、交易が行われていたことの証左としてこれもまた国宝に指定されていた。
この3つの東大寺・江田船山・綿貫観音はそれぞれ古墳時代の前期・中期・後期を象徴する古墳で有ったため、またそれらを示す証拠が多いためこのようにまとめて国宝指定されるものが多いとのこと。
何にせよ、いつの年代で何が行われたかをよく知る宝物なんだなぁ。ということを思い知る1章だった。

次に2章。ここでは古墳時代の大王とされた人物の古墳から出土した様々なはにわを紹介している。
ここでいう大王とはヤマト王権下で各地方で支配層として扱われた人物であり、ヤマト王権のネットワークを通じて各地方の支配を行っていた。一部は現在の天皇家までに繋がり、それらの古墳は宮内庁管理となっている陵墓なども含まれる。

このような大王の墳墓に収められる埴輪は総じて当時の最高級の技術で構成されており、当時の技術力の粋の埴輪が並べられる。

国内最大級の円筒埴輪 2.5m ほどある
水鳥埴輪
挂甲の武人と捧げ物をする女子の埴輪

古墳時代の前期から後期にかけて形象埴輪の変遷などあれど、様々な形で当時の造形師の力作が見れるのは非常に面白い。
というかあのデカさの円筒埴輪はどこで焼いたんだ。という疑問すらまた浮かび上がってくる。

3章、ここでは埴輪の造形の多様さを紹介する埴輪が登場。
埴輪に年代による流行や、地域性などをまとめて展示、特に先行している近畿の形象埴輪の先進性、またそれらが関東へと伝播せずに、関東では独自の形象埴輪の発展をしたと言う事実も合わせて展示されていた。

埴輪の顔がくり抜かれた円筒埴輪なかなかに謎な出来である。
前橋の中二子古墳 北関東に特徴的な造形。
まるでピエロの帽子を付けた埴輪
福島県 神谷作101号墳
豪奢な作りの舟形埴輪
三重県宝塚1号墳

当時の死生観や宗教観、儀礼などを模した埴輪づくりはなかなかに圧巻。
形象埴輪としてはこれまで家、犬などの代表的なものしかイメージにはなかったのだが、かなり多くの象形がなされていたものと感じるには十分な量の展示であった。
また意外にも技術が進んでいてこの当時から馬への装飾を意識したものや、儀礼の際には特殊な着衣を纏うなどの当時の価値観も伺い知れる展示であった。

またこの章の最後には埴輪ではなく木製や石造りの副葬品も紹介されていて、多様性に富んでいたことも知れた。

そして4章では一同に会す挂甲の武人5体のゾーン。

戦隊モノか?

挂甲の武人は群馬を中心に出土し、太田市の駒形窯で焼かれたものとして類推されている。また同一人物が製造に関わったと見られ、各5体の出来も非常に似通っている。
当時の武人の武装をよく示す例として、また造形的な美術的価値の高さから一部埴輪単独での国宝指定を受けている。

5体揃い踏み。写真とコラージュの雑さはご了承ください。

No.55の国宝指定を受けている東博の挂甲の武人を筆頭に5兄弟として紹介されていた。
割とコミカルに紹介されていたのはなかなかにいらない演出だなぁ。と思ってはいたが、音声ガイドも合わせてそのように演出されたので声優パワーで許した。

続いて5章は当時の人々の生活にスポットを当てた埴輪の紹介であった。
形象埴輪は人物や動物、または物を象形して作成されたが、人々の営みに対しても形象埴輪が作られていた。

盾を持つ人の埴輪
王の墓所を守る祈りが込められていたのであろう
力士の埴輪 土俵入りである
怪力はいつの世でも特殊能力

そして一番笑ってしまったのが土下座する埴輪である。

見事なDOGEZA STYLE
お尻側の出来も完璧である

別に謝罪しているわけではなく、王に傅く従者の表現らしいが、見事な造形で面白い。

導水施設の埴輪
もう儀礼に関わるならなんでもありである

ここまでくると儀礼的な役割というよりは当時の造形にこだわる職人たちの遊びの結果として生まれたものだろうなぁ。と思ってしまって笑ってしまう。明らかに儀礼的役割よりジオラマ的な趣味性が先行しているように見えるが!?w

そしてこの章の後半では動物埴輪が勢揃いである。

流石に圧巻の量である

当時としては鶏が一番神聖ないきものとして扱われ、鳥型埴輪が先行して登場してくるがそれにつられるように様々な動物の形象埴輪が生まれてくる。
どうしても大王の権力の誇示という目的のために制作される埴輪、装飾を施した馬が中心とはなるが、やはり動物をモチーフとする事により職人の造形魂に火を付けたのであろうか、なかなかに色物で意欲作な埴輪も多い。

また埴輪と土偶の近代の展示では犬形埴輪と紹介されていた(昭和頃の研究で犬と命名されていた)、以下の埴輪だが、東博の監修により鹿形と改められた。

犬から鹿へと変化
お風呂で遊んだ記憶が蘇りそうな水鳥形埴輪
こちらに何かを訴えているかのような猿形埴輪

そして最後に近現代からの埴輪の再発見で、明治御陵を護る埴輪など近現代の美術史に影響を与えた品々が展示されて終わり。

明治御陵鎮護の埴輪

ここらへんの近現代の日本人の美術史に影響を与えた古代の美術については埴輪と土偶の近代の展示に連なる内容であった。

埴輪を中心に据えた展示で埴輪を軸として古墳時代の日本の紹介がよくされていた。
割と歴史の授業では先土器、縄文、弥生、古墳と十把一絡げに紹介されるような時代ではあるが、要因としてどうしても時代を映す鑑である名前を遺した個人の影が考古的に確証が薄い中紹介することは出来ないからなのかなぁ。と思い至った。
特にヤマト王権の大王の存在自体は疑うべくもないが、どの大王がどの役割をしていたかなどについては未だ謎な部分も多い(だからこそ、それがわかる銘入りの鉄剣が国宝となるわけだが)。

埴輪という大王の影響を受け、制作されていたものから考古的な事実を突き止めるということは展示から非常によく見てわかったが、古墳の発掘自体もまだまだされていない箇所が多くしばらくはこの埴輪というアイドルが表に出て、そのアイドルをプロデュースしていた大王というのは歴史の白紙のままなのかなぁ、と感じた。

まだまだ掘れば色々な事実がわかりそうな埴輪、奥深い……。

以上。