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【エッセイ】指パッチンが鳴らせなくて
指パッチンの音、鳴る?
パチンって心地よく。軽快に。
私は鳴らせない。どうしても鳴らせない。
夫はよく指をパチン、と鳴らす。
親指と中指を擦り合わせて「なるほどね!」「○○ってわけね」などとヘンテコな言い回しとともにたびたび格好つけながら鳴らす。それを見ると私も負けじと指を擦り合わせて、今度はスッ…スッ…という空振り音とともに「わかるかい?」「○○ってわけさ」などと格好つける。まあ、格好つかない。夫だって普段そんなキャラでもないから、かっこいい!きゅん!なんてことはないけれど、私の場合は効果音すら出ないので終わっている。
気が向いたら指を擦り合わせて指パッチンの練習をしてみているけれど、一向に上手くならない。スッ…スッ…と鳴ったかと思えば、バチィッ…バチィッ…と肉のはじける音がするだけなのだ。コツがあればぜひ教えてほしい。
そういえば私は中学の頃、吹奏楽部でトランペットを吹いていたのだけれど、ある曲の中で巻き舌が必要になるときがあった。巻き舌とは、映画やアニメのいかついチンピラたちが「なんだと!コラァァ!」というのの、ラァァの部分のことである。私は途中から不登校になり、吹奏楽部にまともに所属していたのは2年ほどなので、知識が正しいかはわからないけれど、どうやらその巻き舌をしながらトランペットを吹くことで、なんだかこう…発する音を変える技術があるらしいのだ。
1年生の夏。
まだまだ戦力にはなれないまめつぶヒヨコのような私でも、楽譜を渡されたときは心が躍った。職員室のすぐ外で手渡された楽譜。私だけの楽譜。印刷されたばかりの楽譜はまだ少しコピー機の熱を持ち、あたたかかった。本当に、とても嬉しかったのを覚えている。
その曲は近くの高校の吹奏楽部と一緒に演奏するものだったので、楽譜を渡されてからしばらくして合同練習のため、高校生の先輩たちが学校へとやって来た。なんだか大きな楽器ケースを抱えて(よく考えたらサイズは同じだ)。なんだかとても大きくて。立派で。偉大で。やさしい笑顔も作り物のように見えてとにかく怖かった。大人になった今となっては高校生も全然子どもだけれど、中学1年生の私にとってはすっかり大人に見えたのだ。大きな人と書く大人。それもとびきり怖い大人に。
普段は震え上がるほど怖い中学3年生の先輩が縮こまって「はい」としか口に出さない。震える手で楽譜に文字を書く。高校生の先輩は気にせず堂々と指示を出していく。私はせめて音を出した。外さないように、外さないように。
「そこの部分、フラッターだから」
必死に吹いていた私はそう言われて私は固まった。
フラッターとは…?
「巻き舌だよ、トゥルルルルってやつ」
これだよ、とお手本を見せてくれた。
そしてまた楽器を構えて、さあ続けるよ、と言った。
え、待って待って。そんな簡単にできませんけど…
しばらく同じ部分を繰り返しで練習したけれど、私だけ、やっぱり一向に巻き舌ができない。他のメンバーは全員当たり前のようにできているのに、私だけできない。
なんでみんなできるの…?
中学3年生の先輩たちが、早くやれ!早く!頼む!という顔でこちらを見ていた。高校生の先輩たちが、まあ1年生だし今回はしょうがないでしょと諦めたようにそう言った。
悔しい。悔しい。
高校生の先輩たちが帰ったあと、ひとつ上の先輩にどうやったら巻き舌ができるのか尋ねてみた。わからないよ。普通できるものだよ、と言われて、そこをなんとか…と頼み込むと、カルボナーラァァとか言い続けてみたら?と言われた。そうすればできますかね…!?と聞くと、できないとまずいよと言われた。
カルボナーラ…カルボナーラ…
その日から家に帰るまでも、帰ってからも、学校の休み時間もずっとカルボナーラと言い続けた。何日も、ずっと。その間もなんで巻き舌できないの、と叱られて悔しくて泣いた。けれど負けなかった。そんなにカルボナーラが食べたいの?と母がファミレスでカルボナーラを注文したけれどそうじゃなかった。舌が回らなくなるほど言い続けた。負けない。悔しい。負けない。
カルボナーラァァ…
ある日突然その日はやってきた。
言えた。言えた。他にも言ってみよう。
マルゲリィィタ。
トルゥゥネード。
言える。できた!できたじゃん!!
なんとか本番までに間に合った。
喜びのあまり高校の先輩たちにも「できるようになりました!」と報告したけれど、うん。そうなんだくらいであっさり終わった。実際は1年生など、はなから戦力ではなかったのだ。
けれど、今になっても鮮明に思い出すほど、こんなに些細な思い出でも、私にとって大きな成功体験である。
できないようになることができる。そのために努力するというのは、その結果以上に価値を生むのかもしれない。
さいごに
夫は今日も指をパチンと鳴らす。いいなあ、できて。
最初からできるものがあるというのはすごいことだ。
でもきっと、私にもある。
最初からできること。得意なこと。きっとある。
指パッチンが必要になる機会もあるかもしれないから、
本格的に、今のうちから練習しないといけない。
いやほんと、コツを教えてください。