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[完全無料]Vol.2/信用度ゼロの母と思案する娘

「お姉ちゃん、声がおかしいよ。一度、病院に行ってきたら? なんなら私、ついて行こうか?」

実際のところ、ゆきさんがどんなふうに母に声をかけてくれたのかはわからない。でも、ゆきさんの性格を考えると、おそらくこんな言い回しだったのではないかと思う。

正直なところ、私や私の幼馴染が言ってることと内容は同じ。違いがあるとすれば、おそらく母の気持ちの置き所が違うのだろう。誰に対しても迷惑をかけないでおこうという感情はあるが、ゆきさんに対しては特にその感情が強いのだと思う。姉妹だからこそ感じる遠慮と配慮といったところだろうか。

こんなことなら、早い段階で私からゆきさんに話を通しておけばよかったのかもしれない。そこまで考えが至らなかったのは、ゆきさんに余計な心配をかけないためだったのだが、その判断も誤っていたんだな。

何にしても、ゆきさんのおかげでようやく母の重い腰が上がり、かかりつけ医から紹介状を受け取るまでに至った。ここまで約1カ月。このころには、呼吸苦の症状はほぼなくなり、それよりも声枯れのほうがひどくなっていた。少し話せば、すぐに声がカスカスになってしまう。歩行のほうも、呼吸苦が緩和されたからか、多少足取りに力強さが戻ってきていた。

だが、実は、こういうパターンのときが一番母が信用ならなくなる。最も苦しい時期を過ぎているから、自己判断で勝手に「大丈夫」と決めつけて、病院に行かなくなる可能性がぐんと高くなるのだ。紹介状をもらっているにもかかわらず、だ。

干渉をやめれば、そのまま病院に行ったフリをしてしまいかねない。ここまで来たのに、それは避けたかった。この機会を逃せば、もしも病状が考えている以上に良くなかった場合、最悪な状態になって救急搬送されるまで病院に行かなくなるだろう。これまでの経験から、私はほぼ確信を持ってそう考えていた。

だから、紹介状をもらってきたと報告を受けた私は、そのまま会話の流れで日時と病院を確認しておいた。ここを隠さないあたり母も詰めが甘い(笑)けれど、素直に答えてくれたのは助かった。後から聞いても、きっとはぐらかされて終わりだ。

そんな場合は、かかりつけ医にたずねればいいのだが、医療機関としてもあまり伝えたくないのが本音だろう。医者には守秘義務というものがある。いくら母子で同じかかりつけ医だからとはいえ、医者にすれば「できれば親子間で情報を共有してほしい」ところだろう。幸い、母の素直さのおかげで、かかりつけ医に迷惑をかけずに済んだ。

それから数日が経ち、受診日当日。母に連絡をしたら、案の定、もごもごと行くのをどうにかかわそうとしていた。往生際が悪いと言ってしまうのは簡単だが、本人にしてみれば何を言われるかわからない不安と恐怖があるのあろう。行かなくて済むなら行きたくないと考えるのも無理はない。ここで腹を括れるような性格なら、これまで何度も救急車を呼ぶ羽目にはなっていない。

「じゃあ、〇時にうちのマンションのエントランスで待ってるから」
「病院ぐらい一人で行けるわ。あんたは仕事あるでしょう」
「大丈夫。いま、そんなに忙しくないから」

忙しくないわけではないのだが、嘘も方便である。正直に現状を伝えれば「来なくていい」と言われるばかりか、「行った」と嘘をつかれる可能性大。こういった健康関連においては、私の母に対する信用は全くない。それも仕方がない。小学生のころより母のその場しのぎの嘘のおかげで大事が何度も発生し、そのたびに119通報をしてきたのは私である。

そうして待ち合わせの予定時間近くになった。そろそろ用意をしようかと思ったとき、母から電話が来た。

「今から行くけど、ついて来なくていいから」

また、このやり取りをするのかと思った次の瞬間、母から意外な言葉が出た。

「検査が終わったら連絡するから来てくれる?」

私は心の中でガッツポーズをした。

「わかった」

そう言って電話を切った私は、すぐに出かける用意を始めた。

この日、母はレントゲンと、必要であればCTを撮影する予定になっていた。病院は、私たちの家から自転車で10分ほどの場所。飛ばせば、その半分くらいの時間で着けるくらいに近所である。検査が終わってすぐに向かっても十分なのだろうが、私は母と時間差で家を出ることにした。

母が病院に着いただろうと思われるタイミングで家を出た。その途中、再び母から電話がかかってきた。

「もしもし?」
「いま、PCR検査の結果待ち。結果が出てから病院に入れるらしい。結果が出るまで20分くらいかかるみたい」

それを聞いた瞬間、私の頭の中で黄色信号が色づき始めた。熱はなくとも咳を頻繁にしているから検査を勧められたのだろうか? この待ち時間の間に自分で勝手に心を折ってしまうかも。それで帰ってこられては困る。ようやくここまで漕ぎつけたのに。

平然とした口調で母の説明に相槌を打つ。

「そう。で、今どこにいるの?」
「病院の前にあるベンチ。帰るにしても、またすぐに戻ってこないといけないし……」

おいおいおい。やめてくれ。帰るとか言わないでくれ。自転車を漕ぐスピードを上げる。あといくつかの辻を過ぎれば病院に着く距離まで来た。

「あー、もうあと2~3分で着くわ」
「え? もう家、出てるの?」
「レントゲンだけだったら、そんなに何分もかからないでしょ」

病院の向かいにある信号が青に変わる。

「もう着く」

電話を切ると同時に母を呼んだ。あまりの早い到着に驚いた顔をしていたが、これでもう帰る隙がなくなったはず。想定どおり、それからの母は「帰る」とは言わなくなった。二人でベンチに腰掛け、待つこと15分。PCR検査の結果が陰性だったとの連絡を受けて、ようやく外来受付を済ませられた。

それから30分ほどだろうか。病院の待合室から徐々に患者の姿が減っていく中、診察室から看護師さんが出てきて母のフルネームを呼んだ。

「はい」

母が立ち上がると、看護師さんが寄ってきた。

「一旦、こちらのお部屋で血圧を測ってください。またお名前をお呼びするので、血圧を測ったあと、再度待合室でお待ちくださいね」

そう言われて別室に案内された母。間もなくして戻ってきた。腰を落ち着けるなり、こわばった顔で大きなため息をついた。

「血圧、2回も計ったのに、2回とも上の血圧が180超えてたわ」

緊張から血圧が上がっているのだろう。同様のことを看護師さんにも言われたらしい。

「ゆっくり深呼吸してみたら?」

呼吸苦はほぼなくなったとはいえ、やはり息を吸うのは上手くできないようだった。吸い込もうとするのだが、硬い風船に空気を入れるときに詰まった感覚がするのと同じような息が詰まる感覚があるらしい。

「口から吸いこむより、鼻から吸い込むほうが、吸い込みやすいんじゃない?」

いわゆる鼻呼吸による深呼吸を勧めてみた。それでもやはり胸が膨らまない感覚があるようだった。

それから少しして、レントゲン室の技師さんに呼ばれる。撮影後、待合室で待っていたら、今度は診察室の看護師さんに呼ばれた。いよいよ検査結果の説明かと私も立ち上がりかけたが、看護師さんの言葉でまた腰を下ろした。

「CT撮影もしてもらうことになりました。検査室からお呼びしますので、お待ちください」

検査室から呼ばれたのは、数分もしないうちだった。撮影を終え、再び待合室で診察室から呼ばれるのを待つ。このころになると、待合室は空席ばかりになっていた。数人の患者がいたが、ほぼ会計を待っている人だった。その間、母は「何を言われるんだろう」と不安をこぼしていた。

そうして待つこと30分。診察室の扉が開いた。

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胸の奥に今もまだ残る母への確執。その母の肺がん発覚。治療内容を含めて、それからのことを赤裸々に。

肺がんになった母の闘病記兼忘備録

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