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Vol.5/終活のキーワードは『子への信頼感』

呼吸器科の先生の診察を終えた次の日、病院から電話がかかってきた。紹介状と予約票を発行したから取りに来てほしいとのこと。私のところに連絡がきたのは、もともと母の代わりに私が行きますと伝えてあったからだ。

超特急で病院に向かい、先日撮影したレントゲンとCT画像の入ったCD-Rと紹介状と予約票を受け取る。

「お世話になりました」

次にここに戻ってくるのはいつだろうか。戻ってくることがあるだろうか。そんなことがふと頭に過る。少し汗ばんだ肌に、春の陽ざしが降り注ぐ。再び自転車にまたがり、今度は母の家へと向かった。

途中でジュースを買い、母の家のドアを開ける。

「行ってきたよ」

テーブルの上に封筒や予約票を並べて見せる。それらを見て、母が言う。

「きかんしきょうけんさって、どんなのなの?」

病院からもらってきた書類一式の中には、気管支鏡検査に関する説明書きは一切ない。生まれて初めて聞く検査名に、母は不安と恐怖を感じているようだった。

どんな検査なのかは、昨日の診察時に先生が説明をしてくれていたのだが、専門医からの「肺がんの疑い」という言葉が母にとって大きなインパクトを与えたのだろう。話が右から左に頭から抜けて、何も残っていないようだった。

「胃カメラみたいなのを肺の中に入れる検査で、麻酔をかけてやるんだよ」

母は以前、胃潰瘍を患っていた。そのときに何度か胃カメラ検査をしたことがある。私はそれをたとえにして説明した。気管支鏡検査は、麻酔をかけて行われるうえ、その後の経過を観察する必要があるため日帰りができない。

母は、何となくわかったような素振りを見せるものの、それでも何度も同じようなことを聞いてきた。本人なりに理解しようと努めているのだろうが、いかんせん知識がない分、理解しにくいようだった。

「入院するなら、ヤクルトと新聞を止めてもらったほうがいいかしら」

1泊2日の検査だから、本来であればそこまでする必要はない。止めてもらうにしても、入院日当日の1日だけで十分だろう。ただ、私は、母のこの言葉に「母が終活を考え出しているのではないか?」と感じた。

これまで『終活』にまつわる話をしようものなら、「あんたは私に早く死んでほしいのか」と言われてしまい、まともに話ができずにいた。そこから考えると、これは少し好い傾向なのではないかと思った。

「今回の入院は1泊2日だから、今すぐやめる必要はないけど、この機会にやめようと思うならやめるのもいいんじゃない?」

あくまでも選ぶのは母だ。私が「やめろ」と言うのは、それはまさしく過干渉だろう。今でこそ随分母も丸くなったが、私が10代20代の頃、母の過干渉にかなり苦しめられた。おかげで私自身、いまだにどこまで他人に干渉していいのか、その線引きに苦慮しているが、今まさに母に対しても同様に悩みを抱えるようになっていた。

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2,517字
胸の奥に今もまだ残る母への確執。その母の肺がん発覚。治療内容を含めて、それからのことを赤裸々に。

肺がんになった母の闘病記兼忘備録

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