田舎暮らしのじじぃ、都会で必死のしくじりぃ娘
「田舎暮らしのじじぃと称する高市節雄さん(69)が、バラの花が咲く庭に自作の洋画を展示した」
父のことが南日本新聞の記事になった。
田舎ながら新聞記事のネタにしてもらえた、鹿児島のとある田舎のアートイベントに合わせて、犬2匹と大学からの親友リョウコを連れて「じじぃ」に会いに帰省した。
新聞記事の通り「田舎暮らしのじじぃ」である私の父は、独り暮らしにしては広すぎる自宅の庭を3日間だけアートイベントのいち会場にした。絵を見たり小物を買ったり、窯で焼いたピザを食べたりして沢山の人が来てくれた。
来場した小学生の女の子が「もしここに住んでたら、私、もっと性格が良くなってたかもー」と親らしき大人に無邪気に言ってた言葉が耳に入ってきて、なんだか嬉しかった。
最終日の夜は、地域のアーティスト仲間達と打ち上げBBQ。他人と価値観が違いすぎて都会ではたぶん生息できないであろう、そんな個性的なシニアのおじちゃん&おばちゃん達の話は面白い!
太陽と海と自然
自給自足と物々交換
美味しい食事とお酒
そして自分を表現するモノ
それらが揃えば、どんな人でもハッピーな気持ちで生きていけるのかもしれない。
ピザ釜で獲れたてのシイタケが焼き上がって、思わずカメラのシャッターを押してた私とリョウコに
「キミたちは、普段人間らしい生活をしてないのかい?」
と言ったピザのおじちゃんの言葉は、するどいツッコミだった。本当に人間らしい生活をしている人は、少ないのかもしれない。
「田舎暮らしのじじぃ(69才)」と称する私の父は、40才で最初の心筋梗塞になり、死にそうになってから、タバコと過労をやめてイタリア語を習い絵を描き始めた。
私の幼い記憶は、アパートの隣の人に500円を借りて母とスーパーに行ったり、借金の取り立て屋が家に来て、家族みんなで忍び黙って電気を消して居留守したこと。
そんな超極貧な生活で、じじぃは何度も職を変えて脱サラして、エステサロンを経営。高級車に乗って、ビートたけしが愛用してたブランド服を着て、夜は高級クラブで遊び、高級マンションを買うくらい成り上がった。
おかげで、私は10年以上も大学生でいられたし、東京のど真ん中にマンションも持てた。その後、リーマンショックの影響で生活は激変。
たくさんのモノを手放して、今は田舎で「人間らしい生活」を楽しんでる。ペースメーカーつけてるけど。Facebookを活用して個展を開いて絵を売ったり、定期的にイタリアに行って日本では飲めないワインを個人輸入して、しょっちゅうパーティをしてる。
どんなしんどいコトが降りかかっても、臨機応変に前向きに転がる勇気とパワー、そしてパートナーは居なくてもお金はなくても周りの人を大事にするハートがあれば「人間らしい生活」をエンジョイすることができる。
「田舎暮らしのじじぃ(69)」から、生き抜く術を教えてもらった「都会で必死のしくじりぃ娘(42)」でした。