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隣の芝は実際そない青くない。
こんにちは、ももたす🍑🐰です。
お久しぶりでございます┏○ペコ
更新がかなーり滞っておりましたが、また見てくれて嬉しいです💕
ありやすー🍑🐰
タイトルにもある「隣の芝は実際そない青くない」はリスナーさんからのコメントなんですが、これは真理だなあと思ったのでシェアしたくまとめてみました。
いいね、シェア、フォローなんかしてもらえると嬉しいし、むしろしてねっ(゜▽゜)
してくれない子は〜!鍼千本さしちゃうぞっ♡♡
幸せになりたいと言う人は幸せになりにくい
「幸せになりたい」が口癖の人がたまにいる。
これが向上心だったり、本当にどん底状態からこぼれでた一言だったらまだなんとか理解できる。
しかしながら、口癖のように言う人がいる。
こういった人というのは、実は目の前にある幸せに気がつくスキルが弱いだけなんだ。
幸せになれない人なんていない。
幸せだと思える心がないだけ。
という話になった。(イチナナ配信にて)
事の発端は夜桜銀二さんのコメントにて、ももたすの好きなところ1つだけ言うわ!から始まった。
銀二さんの言うももたすの好きなところは、日常の小さなことに幸せを感じられるところ。と大変ももたす好感度アップなコメント(笑)を頂き嬉しく思いました。
伝えてくれたことももちろん嬉しいのですが、細かいところを見てくれてるなというのがやはり嬉しいですね。
人からただ「好きだ」と伝えられるよりも、「あなたの〇〇が好きだ」とか「あなたをもっと知りたい」という事を伝えられる方が何倍も嬉しい。
隣の芝は実際そない青くない
さて、今回の本題でございます。
これはね、気がつく人と死ぬまで気が付かない人がいると思います。
早くに気がついた人は生きやすくなるかもしれない。
SNSが当たり前の時代で他人の着飾った日常を覗き見できるようになった。
この「着飾った」というのがポイントで、キラキラインスタグラマーや意識高い系ツイッタラーなどは実際キラキラしていないし意識も高くないのが9割。
(わたし調べ)
そして、このキラキラにばかり注目すると非日常でしか幸せを感じられなくなってしまう。
非日常が幸せなんだと追い求める人はそれが日常となったとき幸せではなくなってしまうことを知らない。
もしかしたら、この記事を読んでくれてるあなたやその周りの友人にもそんな人がいるかもしれない。
ぜひ、知って欲しい。
「しあわせ」なんてどこにも無いし、いつだって存ることを。
幸せを探したって見つからないのは、目が腐ってるからだよ?
必ずあるから、だれにでも。
めちゃくちゃお腹がへってて、何か食べ物にありついた瞬間。
突然の雨でずぶ濡れになって、冷えた身体をシャワーで温めたとき。
蒸し暑い外からエアコンの効いた室内に入った瞬間。
久々にのり弁を食べた時。
日常の中に幸せはいっぱい転がってるのに、それに気が付かず見逃しているだけ。
見渡せば幸せなんてたくさんある。
イチナナをつけてわたしが配信していたりだとか(´・∀・`)ニヤリ
わたしの思う幸せとは
そもそも他人と比べることなどない。
わたしの思う幸せは、
「不幸せだと思っていない状態」=「しあわせ」だと考える。
今ある手札で勝負することを放棄せず、たいせつなのは【知恵と工夫】である。
スヌーピーもこう言ってますので、幸せジプシーにならず身近なものに目を向けて欲しい。
そうすれば、今よりもっと生きやすくなるよ!
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