15年前、中国の世界遺産に真のジェンダーレストイレがあった
「年末にさ、2人でアモイに旅行いかねー?」
付き合っていた彼から突然、海外旅行に誘われました。今から10年以上前の話です。
年末・海外旅行・2人で行かねー?
これらのセンテンスで私は完全に舞い上がり、頭の中は早くも、ビーチでサングラスに短パンで乾杯している彼と、水着ではしゃぐ私の姿でいっぱいになりました。
ア・モ・イ
の部分を完全にスルーしていたんですね。耳には入っていたけれどあまり深く考えてなかったというか。
アモイね、アモイ。字面的に、カップルが年末に旅行する観光地のイメージ的に、ハワイかグアムかサイパン的な、南国の島でしょ。
私は早速リゾート風のワンピースを買ったり、ビーチサンダルを引っ張り出したり、水着は……やりすぎかな?などと、見当違いな準備をしました。
真冬のバカンスを楽しむ気満々でしたが、旅行の打ち合わせをするうちに違和感を感じるようになったのです。
「俺、ドロウに行ってみたくてさー」
ドロウが「土楼」だとはその時知りません。
「何それ?そこで何したいの?」
彼は旅行サイトで土楼に関するページを検索して見せてきました。
私は混乱しました。
■彼が行こうとしているアモイ
アモイは、バリバリの中国でした。
中華人民共和国福建省南部に位置する地方都市「廈門」(xiamen)こと、アモイ。
いや、南といえば南ですし近年はリゾート地としても開発されているとかいないとかですけど……。
日本ではまずお目にかかれない自然の風景に、世界遺産「福建土楼」。なるほど、アモイが魅力的なのは十分わかります。
しかし、私がイメージしていたアモイはこんなアモイでした。
■想像上のアモイ
恋人とバカンスをイメージしていた私の夢は無常に打ち砕かれました。
しかしながら、私は動揺が顔に出ないよう気をつけて、何事もなかったかのように振る舞います。
何しろ、当時私は彼にベタ惚れだったのです。自由で行動力のある彼に気に入られたい一心です。辺鄙な(失礼)ところにもついていける、強い女だと思われたかったのです。
それに、歴史的な世界遺産「土楼」に行ったとしても、私たちがそこに泊まるわけではありません。観光をしたら市街地に戻って、いい感じのホテルで美味しい中華でも食べればいいのです。
そうだ!本場の飲茶を食べよう。地域柄美味しいはず。カートに載ったたくさんの蒸し器から、湯気をたててカラフルな飲茶が現れる様子を想像しました。
私は頭を飲茶に切り替えました。
「土楼ってさ、どうやら泊まれるらしいんだよね。泊りたくね?」
泊まれるんかーーーーい!!!
なんでこうなるのか……。正直、土楼になんか泊まりたくありません。世界遺産というのは歴史的な価値があるから登録されるわけで、つまり昔のままを見て楽しむのであって、そこに泊まるとなると、たぶんとても不便だと思うのです。それとも、観光客向けに特別にリフォームされた小綺麗な部屋があるのでしょうか?
私は後者に賭けることにしました。
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旅行当日。
空港で待ち合わせして、現れた彼をみて唖然としました。3泊4日の海外旅行だというのに、小ぶりのバックパックひとつで、トップには寝袋がくくりつけられていたのです。
今回の旅行はバカンスどころか、バックパッカーの旅的な位置付けだということが確実に。リアルな(ありのままの)土楼に宿泊する説が濃厚になってきました。
飛行機に乗ってアモイに到着。翌日いきなり土楼なので、この日は夕食を食べて早めに寝ます。アモイ市内のホテルはごく一般的な観光客向けのホテルでしたが、翌日はもしかしたら寝袋で夜を明かすかもしれない思うと、清潔な布団がやけにありがたく感じました。
翌朝、土楼行きの長距離バスに搭乗。バスは、意外に(失礼)普通でした。10年以上前のことなので記憶があいまいなのですが、特別辛かった思い出もありません。
そうこうするうちに(とはいえ数時間は経過しているのですが)、土楼に到着しました。想像どおり、想像以上に“中国”チックです。というか、山!山です。
実は私、このアモイ旅行の少し前まで中国の東北部に1年ほど住んでいたんですね(だったら何でアモイ知らねーんだよ?って自分でも思います)。
なので、ある程度のローカルチャイナには慣れていたのですが、それにしても観光地なのに観光地的な装飾がなく…看板などはあるが…「ありのままを見せた方がおまいら喜ぶんだろ?!」という勢いを感じました。
今も(10数年前の”今”)人が住んでいるという、土楼。100年前のマンションって感じです。そして人が住んでいるというのに、普通に観光客を入れて確か入場料まで取って、本当にたくましいなと思いました。
土楼の中庭を見せてもらい、やることがなくなった我々は、その辺にいたバイクのおっちゃんの客引きで、近くを観光することにしました。どうやってバイクに2人乗るんだろ?と思ったら、当たり前のように3ケツでした。いいのか?しかもヘルメットは竹製です。
この辺りは山なので、すごい山道をグングン上ります。なるほど、これは徒歩ではキツい。山上まで連れて行ってもらい、お茶屋でお茶を買うか飲むかしたら?(圧力)と言われたのでせっかくなので従いました。
山頂のカフェ…と言えば聞こえはいいですが、限りなく"誰かの家の軒先"に近いところに置かれたテーブルと椅子でお茶をいただきます。お茶は普通に美味しい中国茶でした。値段も特に高いわけではありませんでした。一応メニュー的なものがあり、お茶だけでなく食べ物も出してるようです。こんなところで食事頼む人いるわけねーだろ。
「この鳥汁みたいなやつ頼んでみようぜ」
頼むんかいーーーー!!!
確かに私たちはまともにお昼ご飯を食べていませんでしたが、ここで謎の鳥スープ……おそらく鳥の足、爪がついたままのやつが入ったもの…頼まなくても。
なんて言えるわけもなく、「そ、そうだね」と、彼の完全なるイエスマン化した私は力無く同意しました。観光客の冷やかしではなく、本当に鳥のスープが飲みたいのだ!という熱意が伝わったのか、店員…ただの住人の可能性あり…の「本当に飲むのか?」という牽制を制して、しばらくすると鍋が運ばれてきました。
何を思ったのか、どう見ても10人前くらいの量……大きめ洗面器になみなみの鳥スープです。2人しかいないってわかっててこの量持ってくるの、
意味がわかりません。
そして、予想どおり鶏の爪付きの足や頭が丸ごと煮込まれてました。中国では鳥の足は当たり前に出てくるので慣れましたが、頭はあえて食べることもないのでひよります。
ところがこれが、めちゃくちゃ美味しい。出汁のクオリティがすごい。最高級の鶏出汁を洗面器で飲んでる感じですね。
さて、山の日が落ちるのは早く、お昼を食べてお茶を飲んだら夕方になってしまいました。
問題は本日の宿です。昼の鳥スープで確信しましたが、彼は観光客向けに体裁を整えた土楼で満足するつもりはさらさらないようです。現に、夕食をどうするか?という段になると、「ここにしよう」と、観光客が絶対入らない(というか観光客はこの辺で夕食食べない)、食堂ですらない、「〇〇飯」とかろうじて書いてあるような民家にすたすたと入っていきました。
様子のおかしい日本人が突然入ってきて飯を食いだすという、恐らくこの飯屋で年間に1件あるかないかというレアなコマンドが出現したというのに全く動じないのが中国人のすごいところです。
彼も私も片言に毛が生えたくらいの中国語は読み書きできるので、ハズレの無い料理を注文するくらいはできるのですが、全く期待しないで頼んだ、普通のおばちゃんが作った料理が、まあ普通にめっちゃ美味しいのも中国あるあるです。
食べながら店主のおばちゃんに、「この辺で泊まれる土楼ないか?」とクレイジーなことを聞く彼。頼むから「ないよ」と言って欲しいと願う私。
果たしておばちゃんは、例によって特に驚いたそぶりもなく、
「あるよ」と言いました。
あるんかーーーーい!!!
素泊まりでいくらか聞いてみたところ50元(一部屋)だという。
50元は当時のレートで800円くらい(1元16円くらいだった)。日本円に換算するとさらによくわからなくなりますが、当時ちょっといいレストレランで飲み食いしてひとり50元くらいだったはずなので、素泊まりとしては妥当。だがしかし、土楼の内部がどうなっているのかは謎に包まれたままです。
世界遺産に泊まる!というのをバリューとしてみるか、恐らく宿泊所の設備などが皆無なのに対してその金額が高すぎると見るか、何が何だか分からなくなってきました。
そんな私の苦悩をよそに、彼は部屋の様子を確認もせずに「50元ってウケるな」と即決していました。何がウケたのか全くわかりません。
こうして私の土楼泊が決定してしまったのでした。
なぜか食事を作ってくれたおばちゃんに50元を渡し、部屋に案内してもらうことに。少なくとも野宿は免れたわけですが、いったいどんな部屋なのか興味を通り越してなんだか緊張してきました。
土楼の内部に潜入し、きっと多くの日本人観光客は足を踏み入れたことがないであろう、2階へ……
いやもう、嘘偽りない歴史的建造物でした。生活感があるんだかないんだかわからない、骨董品っぽい雰囲気がむんむんです。そして、「ここよ」と案内された部屋に入って、悟りました。
寝袋必須だわ。
清潔なベッドがあればいいやと、部屋の備品(テレビとか)やセキュリティ面の心配をしていた私の間抜けっぷりときたら。
いいか、よく見ろ、お前が今日泊まるのはここだ!!!
かろうじてベッドと布団があるものの、控えめに言ってドン引きの様相です。いったい何十年このままだったのか、かつて日に当てたことがあるのか、絶望的な布団が1枚。これでは横たわることはおろか、腰をおろすのも躊躇します。半泣きになった私を見て、彼はこの旅行で初めてのやさしさを発動しました。
「お前は寝袋で寝ろよ。俺、別にこの布団でもいいからさ」
前半だけ切り抜いて聴くと鬼畜か?と疑われる発言ですが、この状況だと神か?というレベルで慈悲深いです。
ところで、部屋にはベッドが2つとサイドテーブルのみです。当然ワンルームでキッチンなどありません。
疑問に思っておばちゃんに聞いてみました。
「トイレってどこですか?」
もうこれ以上、驚くことなんてないと思っていました。
部屋にトイレがないことは明らかだったので、下の階に降りて使えとか、さっきの食堂のトイレを使えとか言われるんだろうな、めんどくさいな。などと思っていた私は、まだまだ何もわかっていなかったのです。
おばちゃんは部屋のドアをあけてこう言いました。
「ここよ」
壺in壁穴。
サイズ感よくわからないと思うので絵で説明するとこんな感じです。
◼︎使用方法
「絶句する」とはこういう時のことをいうんですね。
これでも私は、中国のトイレにはだいぶ寛大な口です。紙がない、鍵がかからないなんてことは当たり前。野外イベントなんかでは、長い溝の上についたて立てただけ(たまにホースの水でブツがリフレッシュされていく)なんてものも体験済みです。
■イメージ図
そんな私でも、今回だけは度肝を抜かれました。
さらし者です。立ち話のひとつもされるであろうマンションの廊下で、ぶっ放すわけです。こんにちわーとか挨拶しながらおもむろに下着をおろすんでしょうか。
先ほどの食堂のおばちゃんが何事にも一切動じなかった理由がこんなところでよくわかりました。
しかし、いくら何でも私はここで用を足すのは無理です。彼はというと、「超ウケる」と笑っていて、その後普通に使用していたのです。
私はその夜、トイレに行きたくなることを恐れながら、リアルに一睡もできずに夜を明かしたのでした。
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こんな話をなぜ突然思い出したのかというと、巷でジェンダーレストイレなるものが話題になっていたからです。
”身体性別の男女を問わないジェンダーフリーな共用トイレ”が叫ばれて、都心のどこかで一度はオープンしたものの、想定通りの使い方をされなかったり、安心して使用できないような状況になったりしてオープン後すぐに閉鎖されてしまったジェンダーレストイレ。
そんな悲願のトイレを、15年も前に……いや、建築当初からたどしたら100年以上前に実現していたのが土楼だったんですね。
ジェンダーの垣根を取っ払い(文字通り)、真のジェンダーフリーを突き詰めると、この土楼スタイルに行きつくのかもしれない。そんなことを、ふと思いました。
いや、私は嫌だよ土楼スタイルは。
ところで、真のジェンダーフリートイレを15年も前に見事に使いこなしていた、超ワイルドで自由な彼ですが、帰国後しばらくしてお別れしました。理由はやはり私が「ついていけない」と挫折するような気持ちだったような気がします。
今頃いったいどうしているのか、ジェンダーフリートイレの話題がきっかけで思い出した元彼がふいに懐かしくなるなど、甘酸っぱいにしては何とも強烈な思い出なのでした。