SNSで著名なクリエイターの「弟子」になろうとする人が大成しない3つの理由。
こんにちは。わたらいです。(@momosuke_cam)
最近よく見かけるのですが、インターネットやSNSを活用して「情報発信」を行っている著名なクリエイターや企業家さん等にメールやリプライ等で「弟子にしてください!」みたいなメッセージを送る人達(特に若者)っていますよね。
そしてその企業家さんやクリエイターさんが「○○だから弟子はいりません」ときっぱり断っているのもよく目にします。毎回「ドンマイ」って心の中でつぶやいています。
とまぁ、そういうのお弟子希望の方を見るたびに、
「いや、絶対君は大成しねえ・・・」
って思うわけです。口が悪くてごめんなさい・・・。
弟子になりたい人って基本的にその人の「弟子」になって結果として自分も「大成」すること。が最終的な目的であって、「弟子になること」自体が目的ではないと思うんですよ。
ものすごく言い方を悪くすれば、その領域で既に成功している人の金魚のフンのようになって少しでも肖ろうって魂胆なわけなんですよね。(ものすごく言い方を悪くするとですよ。悪気はないです)
なんと僕みたいなどの領域でも中途半端なビギナーですらそういうメッセージを頂きます。送ってくる人は大体、意識高い大学生です。
「ネットで影響力を持った人の弟子になろうとする人、全員意識高い系説。」ってのを唱えて検証したいくらい皆意識高いです。笑
じゃあなんでそんな彼らが「大成しない」と思うのか理由をあげていきます。
◆理由①受動的すぎる
「弟子にしてください」ってメッセージ送ってくる人たちって大体みんな意識だけは高いんです。高尚な理想を掲げたり、師にしたい人の価値観と近いモノを持ってますとアピールしてきたり・・・。
ただ意識高いんですけどびっくりするほど「受動的」なんですよ。
思考・行動すべてが本質的に見れば主体的なものではなく周りの環境に流されただけの受動的なものばかりなんです。
そういう人は仮に師匠が「○○はAだ!」と言ったら、「なるほど~Aだ!Aだ!」とひたすら連呼します。
それはもう師匠ではなく教祖です。
彼らは「○○はBであるかもしれない」という可能性すら発想も思考もできないのです。
たとえ師匠であれど、「これはこうだからBだと思う」と思考・発信できるようにならないといつまで経っても師匠というオリジナルの劣化コピーにしかなりえません。
師匠を否定しろって言ってるんじゃありません。「師匠にはないベクトルでの思考」や「師匠より更に一歩深い思考」を主体的にできるようにした方がいいって話です。
◆理由②「情報のインプット=目的」になっている。
もはやこれは「弟子志望」の人ではなく「意識高い系(もどき)」に対する意見ですが、彼らは基本的に「インプット大好き人間」なんですよね。
別にそれが悪いわけじゃないですよ。
ただ、意識の高い話や情報を聞くのが大好きでそれを自分にインプットしていること自体がが目的になってしまっている。それが問題なんです。
本来、情報は「使う」ことが目的であり、「インプットすること」は情報を使うための「過程」に過ぎないのです。しかし彼らはその過程が目的になっています。
だから、ありったけの知見を自分の中に得ることに快感を覚え、それを使おうとしない。
情報は使えなければ雑学です。
意識高い系彼らって「情報発信」と称して今まで自分にインプットした知見をひたすら話すのが好きなんですよ。でも話すのが好きなだけでその情報を生かした「行動」が出来てない。だから実績もない。
クリエイターって「行動」するのが好きなんですよ。実際にやってみたり試行錯誤してみたりそういった中で新しい「情報」を生み出し、より高い水準の「行動」に移していく。それがなによりも楽しいんです。
なので著名なクリエイターや企業家さんなんかの「SNSでの情報発信」はあくまで「インプット&発見した情報の備忘録」とかだったりする人も多いと思います。ちなみに僕の場合は目立ちたがり屋なだけです。
とにかく「行動」できない人は大成できません。高尚な理想郷をドヤ顔で語る暇があったらはやく動けってことですね。
そして最後の理由。
これが一番大事だと個人的に思っています。
◆理由③「その道の人」を目指す彼らは「その道の人」にばかり憧れている。
これがめちゃめちゃ多いですね。多いです。うん。多い。
例えば「写真家」になりたい人ってSNSで著名な「写真家」さんに弟子入りしようとするし「起業家」になりたい人は著名な「起業家」さんに弟子入りしようとするんですよ。
まだまだありますよ。
ここ10数年の邦ロックバンドなんて大体みんなBUNP OF CHIKENに憧れてバンド始めてるし、ライターはライターさんに。役者は役者さんに。イラストレーターはイラストレーターさんに。
とにかく、彼らはその道の人になるためには「その道の人に”だけ”聞けばいい」と勘違いしている。
今時その思考は全くもってナンセンスだと思っています。誰もオリジナルの劣化コピーなんてみたくないんですよ。
世の中には二番煎じが叩かれたり嫌われたりする風習がありますが、二番煎じといえどオリジナルを凌駕することは多々あります。それはなぜか。オリジナルにはなかった「何か」を付加しているからです。
今の時代、コンテンツは腐るほど溢れていてその中で目立つためには「別ジャンルのコラボ(スキルの複合)」が必要不可欠であると僕は考えています。(一部の天才は除きますよ)
例えば岡崎体育さんがなぜあんなにもウケたか分かりますか?
あの人はアーティストでありながらどちらかというとお笑い要素の強い「エンターテイメント力」を楽曲に付加したのです。
既存のメジャー邦ロックに憧れてバンドを始めたアーティストには絶対に思いつかない発想ですよね。
もちろんその道のひとのスキルや技術は必ず必要ですし憧れること自体も悪いことではありません。
でも、それじゃ目立てないし既存のコンテンツの劣化コピーを量産していくばかりです。だから僕は思うんです。
「その道の人」に憧れ、「その道の人」を目指すとき、
既存の「その道の人」のみから学ぶのではなく
「それ以外の道の人」から学んでいくことこそが大事。
だと僕は考えています。
弟子になりたいと思うことが悪いことではありませんが、強い憧れは視野を狭くしますよ。
以上わたらいももすけでした。偉そうなこと言ってごめんなさい。
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