この街の優しさの中で生きるということ
2019年も残りもうわずか。
私が、このnoteを登録したのは、2018年12月のことだった。何日に登録したのかはお知らせを遡らないとわからないけれど、登録した日は私にとっては一年の記念日でもなんでもない。ただ、noteの存在を知り、登録しただけの日。
私が初めてこのnoteに記事をアップしたのは、2019年1月3日のことだ。
登録していろいろ使い方や続け方を考えて、きっと1月1日から始めたかったのだろう。
それがバタバタしてできなくて、初投稿が3日になってしまったことだけは、よく記憶している。
あと数日で、noteに書き始めて、1年になる。
一年弱で、こんなにもの数を書いていた。
詩だったり、小説だったり、日常だったり、内容は様々だ。
現在も連続更新を続けている。書き始めて1年を迎えるときには、365日連続更新を達成している。
毎日更新続けることを、すごいことだとは思わない。丁寧に向き合い、1週間に一度の更新だって、毎日更新だって、noteの続け方は人それぞれだ。
私がnoteの毎日更新を続けるのは、私が生きているという確かな証を刻みたいからなんだと思っている。
私はきっと、私が望めば簡単にいなくなってしまう。
誰かの心に何かを残せたとしても、私がこの街からいなくなりたいと思ってしまえば、私は簡単に消えてしまうのだ。それは時に、衝動的に、かもしれない。
ずっとどこかで書くことを続けてきて、いろんな場所で、私の書いたものを好きだと言ってくれる方々に出会えてきた。
それでも、私はずっと夢を叶えることができないできた。自分が描きたい世界を描いていてはだめなんだ。求められるものを書くということは、ときに自分のことを消すということなのかもしれない。そんな風に書くことを続けて、私は本当に幸せなんだろうか?
私が望む百瀬七海のカタチは、きっと違う。
現実はそんなに甘くはないことも充分知っている。
私の夢は叶っていない。
このnoteの街で、いろんなコンテストなどに参加してきたけれど、一度たりとも選ばれてないし、オススメに選ばれたこともない。
百瀬七海でいることが、時々とても苦しくなってしまう。ずっと抱えてた苦しさを、今もずっと抱えている。
それでも、私はこのnoteの街にくるとき、百瀬七海という名前を選んだ。
過去の私を、消さない道を選んだ。
noteの街は、思っているよりもずっと広い。出会うことができていない方たちもたくさんいる。限られた時間の中で、私が読めるnoteはごくわずかだ。noteやTwitterで自分がフォローしている方や、リツイートなどで興味を持った方、同じ企画に参加している方など。それですら、本当に一部なのだ。
私の名前を知らない人ばかりのこのnoteの街に、私はこの一年、生きてきた。その中で出会うことができ、実際にお会いすることが叶った人たちもいる。すごく幸せだった。幸せだと思う。
私は夢を叶えたいし、その夢を叶える名前は、「百瀬七海」がいい。
それまでは、時々襲ってくる、百瀬七海でいることの苦しさと戦わなければいけない。だけど、この苦しさは、今まで出会ってきた人たちが、癒してくれている。
私が何かを描きたいと思う気持ちは、このnoteに込めている。
そして、そのたったひとりへの想いを、私はずっと抱えていく。
それが私が、今日も百瀬七海でいる理由だ。