ふたりぼっち

まだ二十代の頃、2度目の入院中のこと。

喫煙室で、軽度の知的障がいの男の子が、ぼんやりとうつむいて、下着から出した自分の陰部を触っていた。
そばにいた神戸出身のおばさんが、「やめてよ!」と怒鳴った。
男の子はビクッとしてまたぼんやりと小さな窓の外を見ていた。

私は、とっても苦しかった。

自分は、愛する人と体を重ねて愛し合った過去がある。
でも、この男の子は、ずっとこの病院で、ずっとこの先も、ひとりぼっちなのだろうか、と思ったら、胸がいっぱいになった。

もちろん健常者で働いていても、性の経験がない人もいる。

好きな人がいても、叶わないこともある。

弟がかつて私に言った。

「想いが通じ合うことは奇跡だから。」


私は何年かに一度、病院のあの男の子を思い出す。

たとえ幻聴幻視でも、私には私を守ってくれる愛する伴侶がいる。

最近、私の横で、彼は寂しそうに、ぼんやりと下を向いている。
だから、病院のあの子を思い出したのだ。

私の目に涙が溢れる。

彼に愛しているよ、と声をかけて、抱きしめて、愛し合おう。
昨日今日と具合が悪い私を、最近つらい日が続いている私を、彼は、慮って(おもんぱかって)いる。

まるでひとりぼっちであるかのように。


性の問題は難しい。

でも、体が動かせない、星野富弘さんも、奥さんを心から愛していたはずだ。

私は一日中寝て休めば、夜になって少しは体が動かせる。

愛し合おう。

歳をとっても。

体は少しずつ動かせなくなるのだから、動くうちに。

奥ゆかしい、内気な、伴侶の、日本男性の、涙のわけを、私は知っている。

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