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8.今ある環境は決して当たり前なんかじゃない。
こんばんは。
佐藤桃理(さとうももり)です。
ご無沙汰しておりました。
更新を止めていた間、今も地元滋賀に帰ってますが私自身はとても元気です!!忙しいですが。。😅
前回のブログで心配の声をかけてくださった方、ありがとうございました。
本題に入ります。
去る令和4年2月18日金曜日、
私の父が急逝しました。
(以下、この日を忘れないようにありのまま書いています)
当日の朝いつも通りに、仕事や〜と思いながら始業直前にパソコンを開いたら、突然母からの電話。
すぐに出たら、
「あの…お父さんが、亡くなった。」
『嘘やろ???』
突然過ぎる知らせで、震えが止まりませんでした。
まず仕事のリモート朝礼を終え、直属の先輩に連絡。
代理対応などをお願いして、昼過ぎに地元滋賀へ。
向かってる時は何も実感が無くて、この時はまだいつも通りなのにポカンとしてました。
帰ってすぐ父が倒れた寝室に行き、ベッドで寝ている姿を見たら、体は青ざめて冷たくて目を閉じていました。そこで実感しました。
診断は、急性心筋梗塞。本当に急に。
両親と愛犬で実家に住んでいるのですが、前日までいつも通り晩ごはんを3人で、美味しい美味しいと言いながら母のご飯を食べていたそうです。
なのに朝、寝室で倒れていました。
享年62歳、若い。
でも受け止めるしかない。
父はいつも穏やかな笑顔で、家族や仕事仲間から絶大な信頼を置かれていました。
39年間、日本IBMから京セラという大きな会社の重要な部署で人からの信頼も厚く、真面目に毎日仕事をして貢献していたと聞きました。
母と毎晩の様に晩酌をしては、酔い潰れた母を責めることなくニコニコと話していましたね。私のお酒・黒霧島好きは確実に両親譲りです(笑)
立派な愛車プラドを運転する事が大好きで、よく家族で遠くに旅行に行っては、大好きな山をわざと通って母姉私でブーブー言ってました(笑)去年末には、新しく頑丈でカッコいいスバルを納車したばかりでした。
そして、どれだけワガママや迷惑をかけても、あまり怒る事なくいつも優しすぎる父でした。
私としては、本当に父にワガママと迷惑ばかりかけていました。
先日のブログ通り先天性の病気で沢山費用と負担もかけたし、
小さい頃はお父さんの髪や髭に白髪があったら勝手に抜いては軽く怒られたり(笑)
習い事や音楽をやりたい!と言っては滋賀から大阪の専門学校に行かせてもらい、
社会人になって、大阪に行ってからあまり帰らなかったり、
金銭面でトラブルがあった時は大きく包み込んで守ってくれました。
私は、今頑張って両親を幸せにしてあげたかった。それが直接叶わない形になりました。
母は、「早過ぎるけど、一緒に過ごせた30数年間本当に幸せだった」と言葉を詰まらせながら伝えていました。
確かに、こんなに良い父親に恵まれて、私も幸せでした。
本当にありがとう。
突然の父の死を経て、【人生は有限】を肌で感じました。
だからこそ、これからは寂しがり屋な母を不自由ない様に、より幸せに過ごせる様な環境を私が作ろうと決めました。
姉と私で葬儀の打ち合わせをして、困難に立ち向かった時に姉と共に確実に母を助けられたなと思います。
やればできるやん私。って内心思いました(笑)
そして、言葉が不自由な喪主の母と一緒に姉と私と三分割で伝える挨拶も私が作り、我ながら良い挨拶が出来ました。
参列して下さった皆さんに感謝の言葉や、『凄くしっかりしてるからお母さん支えてあげてね』と声を沢山かけて下さいました。
そして、万一の時があった時の備えが本当に大きいなと思いました。
ある程度歳を重ねて8年前に両親とも葬儀屋の会員サービスの積立を続けていた事で、負担が大幅に少なくなり質は高く不自由なく選択できました。気が早すぎるやろ(笑)と言ってたけど、本当に大切だなと体感。
他にも生命保険など備え方はそれぞれですが、実現可能なのはやはりお金が必要不可欠です。
改めてお金の大切さについて体感したけど、行動に落とすため勉強しようと思いました。
遺影や思い出写真を探している時、家族でこんな所に行ったなとか、若い時こんなハンサムで昔から多くの仲間に恵まれて、アーティスト写真ばりの(笑)笑顔が輝く鮮やかな記録が沢山ありました。
遺影用の良い笑顔の肝心な写真で、がっつり鼻くそがついてました😂
それを姉が加工してた時ビデオ回したぐらい死ぬほど笑いました(笑)
ゲラゲラ笑って過ごしてるのが私たちらしいでしょ。
お母さんが、一人で日本酒を飲みながらこう言ってました。
「あんたら(姉と私)にな、幸せになる方法があるねん。
それは、水回りと玄関を綺麗にすること。
どれだけ部屋がめちゃくちゃでも、水回りと玄関さえ綺麗にしたら、水が流れる所と入り口から幸せが入りやすくなるの。
それをやってきたから、お父さんと幸せにやってこれた。
お母さんも、結婚前は今のあんたらみたいにハチャメチャだったけど、そこはずっと頑張ってきた。
だから、大事にしてきや。」
娘二人とも片付けが苦手ですが、大事にしてきた事を徹底します。
状況環境関係なく、求めている物を真っ直ぐブレずにいる人が結果出ると信じて、私はこれからも父みたいな穏やかで人情深い人間になります。
お父さん、育ててくれてありがとうございました。
私は必ず結果出して豊かになって、代わりにお母さんを幸せにさせると決めました。
負担ばかりかけてしまったけど、不自由なく過ごさせてくれて私も本当に幸せでした。
だから、天国でゆっくり休みながら大好きな黒霧島を飲んでください。
佐藤桃理(さとうももり)