当たり前は多様性の下で相対化される - トロントのエンジニア就労初月
同僚は業務時間中にも関わらず雑談をやめない。
「中国でも僕らの世代はみんなワンピースとナルトを見て育ったんだよ」
人懐っこく日本びいきの彼は、日本作品に触れてきたことを誇りに思っているかのように語り続ける。ジブリも黒澤明も見た、フロムソフトの宮崎さんはレジェンド、このアニメは泣ける、あのドラマの俳優は良かった。
高校時代の同級生が日本の写真を SNS に投稿しているのに触発されて、熱が高まっているようだ。日本には花火があるんでしょと聞かれた。言われてみれば、日本のような夏祭りってカナダでは見たことがない。あれは日本独自のものだったのか。
「日本には娯楽も食べ物もいいものがたくさんあるよね。旅行にも行きたいし、何なら少し本気で移住を検討してる。なのに、君はなんでわざわざ日本を離れてカナダに来たの?」
えっと、何度も考えたはずのことだったけど、いざとなると上手く説明できない。
「カナダには世界中から人が集まるでしょ。競争の激しい環境に身を置きたかったのかも」
うーん、と納得できない様子の彼。彼の出身州では、70 万人中 300 人しか北京大学に行けないのだそうだ。規模が大きすぎて瞬時にイメージできない。
「それに比べると、カナダでの競争って大したことないと思うけどな。自分は大学受験に失敗してカナダに進学したけど、君は日本で有名大学に行っていい企業で働いてたよね。自分だったらずっと日本にいるけどなぁ」
返答に詰まる私。なんと言えば納得してくれるだろうか。
「最初はソフトウェア業界のメジャーリーグたるアメリカを考えたけど、ビザの条件が厳しくてカナダに来たんだよ」
分かりやすい理由を提示して一応の理解を得た。いろいろ複雑な感情はあるのだけど、上手く言葉にできない。確かにアメリカを目標としてはいたけど、カナダにいる今が道半ばで不満だとは思っていないと気づく。帰宅途中のバスに揺られながら考えてみたが、明快な説明は思いつかなかった。
働き始めて一か月
トロントのエンジニアももりです。
日本で生まれ育ち、3 年間エンジニアとして働いた後 2023 年 7 月にカナダ西海岸の街バンクーバーに渡航しました。一年間の学生期間を経て Huawei という中国のテック企業に就職。2024 年 9 月にカナダ最大の都市トロントに引っ越し、働き始めて一か月経ちました。
この一月の間に感じた驚きや学びを記憶が新しいうちに綴ります。
ちなみに渡航から就職までの経緯はこちら。
インターナショナルなチーム
まずチームがインターナショナル。自分が所属するのは 10 人足らずの細分化されたチームだが、それでもカナダ人、中国人、トルコ人など様々な国籍が含まれる。
中国企業だけあって中国出身者は多いが、高校までは中国で過ごし大学からカナダに来た冒頭の彼のような人や、小さい頃に家族で移住してきた人など、経路にはバリエーションがある。カナダ人と一口に言ってもインド系カナダ人だったり、フィリピン人とフランス系カナダ人のハーフだったりする。
カナダで育ったけど両親は中国人、そして生まれはアメリカなので実はアメリカ人という人もいた。なんと面倒だからという理由だけでカナダ国籍への変更手続きをしてないという。適当さ加減はカナダらしい。
オフィスの一角には瞑想・お祈り用の部屋が設けられている。イベントで振る舞われたランチのハンバーガーには、当然のようにベジタリアン用のパティが用意されていた。
ちなみに日本人にはまだ会ったことがない。そもそもトロントはバンクーバーに比べて随分日本人が少ないようなので、私がこのオフィスにいる唯一の日本人であっても驚かない。いよいよマイノリティになった感覚がある。
まさか 9-9-6 ってことはないよね
中国には 9-9-6 という言葉がある。午前 9 時から午後 9 時まで、週 6 日間働くという意味で、近年の行き過ぎたハードワーク文化を象徴する流行語だ。中国の学校や会社での苛烈な競争をうわさに聞いていたので少し怯えていた。
しかし幸い、この会社はカナダの文化に合わせてくれているようだ。ワークライフバランスが取れているというか、ライフの方に傾いている気がする。
勤務時間は 9-17 時が標準だが厳密な決まりはなく、10 時からのミーティングぎりぎりに来る(そしてたまに遅刻する)人もいる。17 時を過ぎると一気にオフィスが静かになり、18 時までいると心配される。働きすぎないでね、そろそろ帰ったら?と声を掛けてくれる。みんな優しい。
仕事命で猛烈に働くみたいな空気は全く感じない。そのおかげで心の余裕も生まれるのかもしれない。怒っている人など見たことがない。
ちなみに、この 9-9-6 は本当なのかと中国出身の同僚に質問してみたところ、会社によるが実際にあると教えてくれた。しかし夜までいると夕食も出るし帰りのタクシー代も払ってくれるし、きちんと残業代もあるらしい。
そう聞くと、仕事が楽しいなら一概に悪いわけではないかもしれない。まあ労働環境が悪い中でそれを強制されたら、すぐに参ってしまうだろうけど。
当たり前は多様性の下で相対化される
カナダでは、本当に一人ひとりが違ったバックグラウンドを持っている。文化や個性のモザイクの中で、自分は一つの小片になる。
比較対象があることで自分を相対化できる。中国ではこんなふうに働く、カナダではこう、では日本はどうだったっけ?彼はこんな動機でここにいる、では自分は?
日本にいた頃はよくあるレールの上を歩いてきた人生だったと思う。レールを外れて新しい世界に飛び込んだら、もはや自分の「当たり前」は通用しない。日本では夏にお祭りをして花火を上げる。けどなんで夏なのだろう、なんで花火なのだろう。考えたこともなかった。
盲目的に従っておけば良い指針は存在しない。だから「自分が」どうしたいかが大切だ。殻を破って掴んだ、どこに行くにも自分次第なこの環境を、さあ来い望むところだと思っている。
最後まで読んでいただきありがとうございました。今後も海外生活の様子をお伝えしていきます。感想、質問、相談などはお気軽にどうぞ。お待ちしています。