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ツラツラ小説。 光と音楽


その空間がそこにあった。

そこは、明るく、高貴な音楽も流れ綺麗な場所である。気がつくとその空間にいることが多い。右を見るとお花畑。左を見るとコンサート会場。前を見れば外国の街並みが並んでいる。クラシックの音楽が聞こえ、気持ちも落ち着く。私が探し求めていた理想郷のようなものだ。そこにはSNSなんていうまどろっこしいものもなく、人間関係のようなものもない無駄を省いた空間だった。

思えば無駄ばっかりな人生だった。人も合わせるためだけに買ったゲームや、同じ話題を共有するために見たアニメなんかは自分の人生に何も役立ってないんじゃないかって思う。ただ当時は仲間外れにされたくなかったため、必死で覚えた。まるで仕事のように。
それは社会人になっても変わらない。正しいことが見過ごされ、人々は安定を求める。そのための小さな犠牲には目をつぶっている。
他人とのコミュニケーション力が大事なんて言葉をよく聞くが、コミュニケーション力というより、その塩梅を理解している人が勝ち上がる。コミュニケーションを取れたからと言って取りすぎる人、上手だけど、しつこい人。下手だけど愛される人なんてものもある。

でも、そんな話はいい。
小鳥がさえずり、蝶が飛び。
こんな最高の空間があったなんて思いもしなかった。いつまでも。いつまでもここにいたい。私はここに居れるなら何十万円も何億でも払える。そのくらい私はこういった、何も考えなくていい空間に飢えていた。

社会人になり、友達という言葉を本当の意味で使わなくなった。友達ってなんだっけ?
一方的な友達なんてものはあっても。
社会人は損得利益で動いてるいるのがほとんどだ。誰も信用なんて出来ない。というより友達という概念は損得の部分まで目がいかない馬鹿な小学生だから成立するのではないか。決して小学生を馬鹿にしているわけではないが。

私は外国の街並みを歩いてみる。日本にはない風景。外国、海外。日本はすぐに「外」という言葉を使いたがる。よく知らないから。よそ者だから。区別したがる。嫌悪感を覚えるのは僕だけだろうか。たぶんそんな人たちはその国に行ったことがないのだ。地球に境界なんて必要ない。その国の人たちと触れ合うことでつくづく思う。私は手を振る。

もし、死ぬなら日本で死にたくないって思う。いつか、わだかまりも何もかもなくなって1人でどこへでも行けるなら。日本から遠い国で死にたい。そして、誰も私の存在なんか忘れるのだ。私だけが覚えてればいい。

この空間に来ると私は見たいものがある。
歓喜の歌が流れる。
てーてーてーてーてーてててーてーてーてててーてーてーてーてー。
口で歌ってみる。気分が良い。この歌皆がよく知る部分に近づくにつれどんどん壮大になる。光がより輝き、音楽はやがて轟く。
そして、膨張し、弾けてやがてまた収束するとき、地球の反対側にいる私にもきっとそれが見えるのだ。

この、光と音楽が最高潮になった!!
その時!!!!


…ピンポーン…ピンポーン………

玄関のインターホンが鳴った。私はゴーグルを取る。窓から見える生温い景色にため息をする。

…ピンポーン…ピンポーン………

………はーい。

狭く、暗い部屋。机の上には洗ってないお皿。床には昨日脱ぎ捨てた服。そんなものを目にしながら、無駄に大げさにあくびをして、私は、玄関に向かった。




おしまい。

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