短編小説。 夜想。
____________________
強い風が吹く。私は別れが嫌いだった。これから先、その人と会えなくなるような別れも、遊び終わって家に帰る別れも。どんな別れも嫌いだった。分かれ道に着いてから私は悲しくなる。どんなに楽しい時間、幸せな時間を過ごしても、家族でもない限り、長い時間、一緒にいることはありえないことは分かっている。分かりたくなかった。終わりのある始まりが嫌いな私のことを、人はわがままだって言うかもしれない。でも、とにかく嫌いなのだ。だから、始まりなんてなくてもいいのになんて思う。風が少し強くなった。
断片的な記憶が別れと別れを繋ぐ。記憶のない部分は私の妄想なのか、はたまた、喪失なのか。今の私にはわからない。この話はきっと時系列で話していると思う。私は目を瞑った。
---------------------------------------------
・別れは絶望。
新しい朝が来た。希望の朝だ。
喜びに胸をひらけ。 大空仰げ。
この後は少し雑音が混じるラジオ体操に毎朝行っていた希望に満ちた夏休み。宿題の難易度が上がり始めた小学4年生。小学校でいえば高学年と呼ばれる年代になる。お兄さんお姉さんなんて言われる学年だ。その頃、宿題もせずに友達と朝から夕方まで遊んでいた。夏休みは時間を気にせず遊んでいた。ある時、誰かが言った。一回一回帰るのもめんどくさいから、ずっと遊んでられればいいのにね。確かにその通りだ。でも、疲れる。眠い。そんな感情もあって僕はそれほど納得していなかった。だが、思ったより早くその意見に納得することになる。将来もきっと、その誰かたちとずっと親友でこれからも遊んでいくんだろうと思っていたその誰かが、夏休みの終わりと共に、死んだ。
突然のことだった。放課後、いつも遊んでる公園にその誰かが来なかった。代わりにその日の夕方にその誰かのお母さんが来た。泣いているお母さんが僕たちに告げたその言葉は嘘にしか聞こえず、僕はその誰かに会いに行った。病院は、静かにしなければならないところだが、その日は騒がしくなった。その日のうちに、その誰かは息を引き取り、学校に行くと、机の上に花が置いてあった。
こんな簡単に人は死んでしまう。命は案外、安いのかもしれない。現に今の私が思い出そうとしたとき、名前を思い出すことが出来なかった。こんなことなら、その誰かの言う通り、朝から晩まで、一緒にいればよかった。もうすぐ、死ぬ人と遊びたいって言えば、両親は許しただろう。その人との、思い出が中途半端に終わってしまった。まだ、続きが予定されていたはずなのに、その人の、声も、思想も、人柄も全て焼かれてしまった。
テレビのニュースでも報道された。だが、それは僕らの悲しみとは比例せず、たったの3分間で終わった。小学生の方の不注意。トラックの方の疲れからの注意不足。その2つが偶然合致してしまった。テレビで、尊い命という表現をする割には尊く扱われていないこの内容は、僕たちに悲しみを与えた。僕にとって初めての大きな別れだった。終わりが始まった。
だが、不思議なことにその「誰か」を思い出すことができない。当時は下の名前で呼ぶほど仲が良かったはずなのに。何故だろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
別れは何も絶対悪ではなかった。私にとっては、良い別れがあった。父だ。
________________
・別れは幸福。
この頃から、私はクラシック音楽にはまっていた。中でもショパンだ。特にCMでも流れていた「別れの曲」に心酔していた。当時の記憶なら、まだ私が最初に別れを経験したその「誰か」を想って聞いていたかもしれない。今も聞いている。
父はDV男だった。日常的に母や私に暴力を振るい、またそれが普通だった。私にとってもそれが普通だった。ただそれは一時的なもので私が少し違う部屋に行ったり、外に出て帰ってきたりするときには、何事もなかったかのように、両親はテレビを見ていたりする。だからそれも日常茶飯事で、私は特に気にしなかった。
ある時、リビングの窓ガラスが割れていた。すきま風が部屋に入り、部屋の中が寒くなった。そして、そこはなぜか修理せず、ダンボールを貼った。その頃から母親は夏も長袖を着るようになった。暑そうだなって思ったけど、特に何も言わなかった。ある時、家に帰ると母が泣いていた。父が警察に連れていかれたらしい。原因は母への暴力。警察の話によると、通報したのは母。父が泣きながら暴れ、母も怪我をした。なのにも関わらず、父を連行しようとした時に、母は泣きながら引き止めたらしい。その頃、私も父に暴力を振るわれ、腕を怪我していたため、幸福なことだと感じた。だが、母がこんなにも泣いているのは、幸福ではない。それからも母は元気がなく、私はしばしば母を慰めた。ただ、母は父が帰ってくる頃の時間になるとたまにボーッとしている。
私が高校生になり、家に居る時間が少なくなると、母は自傷行為を始めた。まるで父がいた頃のあの怪我のように、父に蹴られたり、殴られたりした部分を特に強く自傷した。
私は怖くなり、高校を卒業したと同時に、大学を遠くにして、下宿生活を始めることにした。母と最後の夜。母は、私にキスを求めた。私のことを父の名前で呼び、私を押し倒した。母にとって、父はどのような存在だったのだろう。それ以来、母とは会っていない。元気だろうか。流れている「別れの曲」が、より一層、母を思い起こさせる。幸福だったのだろうか。
---------------------------------------------
雨が降り始めた。念のため持ってきた、折り畳み傘をさして通りを見る。空は晴れているいわゆる天気雨なので、人が次々と駆けていく。
その頃、ショパンの夜想曲というものを知った。シリーズ物のように、儚い音楽が続く。中でも遺作である20番は特に儚く、私に夢を見させてくれた。私は大学生になった。
---------------------------------------------
・君と出会ってから。
大学に入学し、下宿で一人暮らしも始めた。狭いワンルームだが、ご飯は下宿で提供され、さらにバイトも始めた。母からの仕送りはほとんど無かったため、必死にバイトもした。その頃の私は大学ではかなり消極的になっていた。他人と目を合わせることに恐怖を覚えるようになっていたが、世間体を気にして、なるべく合わせるようにしていた。
英語のリスニングの講義で、ペアを作ることになった。私はたまたま隣に座っていた、その女性とペアを組んだ。その女性は沙織という名前でとても魅力的な女性だった。講義が終わった後、なぜか私はお昼に誘い、一緒にご飯を食べた。人としっかり話すことも久しぶりだったが、不思議と目を合わせることに恐怖を覚えなかった。その後、英語の講義がなくても私たちは会うようになり、いつしか私のワンルームの部屋に連れてきていた。管理人さんは優しい人で許してくれた。時折、朝まで一緒にいて、そのまま大学に行くことも増えた。
そんな生活が1年くらい続いた頃、私は沙織と、やっと付き合うことができた。お互いバイトでなかなか一緒にはいられないが、私が告白したときに、泣いて喜んでくれたことを思い出した。私はとても幸福でした。その頃から沙織と一緒にいたい気持ちが強まっていった。だがこれは当然のことだろう。私は大学も休みがちになり、沙織の友達に講義を聞いてもらうよう頼み、沙織と家に居るようになった。
私は、沙織が喜ぶことをしたかった。しばしばセックスをしたが、それだけでは私は満足できず、ペアルックのピアスをプレゼントしたり、ネックレスをプレゼントした。私は沙織がどこかへ行く時に、必ず着いたら連絡をすることという条件をつけて、沙織の外出を許した。そして、遅くなると不安なので、電話をかけた。沙織が家に着くと、ハグをして、最大限、癒してあげた。その頃から私は泣き上戸になっていた。感動する映画だけでなく、ふと今この沙織といる空間が愛おしくなり、この時間が終わってほしくないと思い、涙が出てきた。私はその度に、沙織に愛情表現をした。
ある時、家に帰ると、沙織はいなかった。代わりにテーブルの上に手紙があって、友達の家に泊まるとだけ書いてあった。その友達が誰だかは分からなかったが、何も連絡をせず、また連絡しても通じなかった。正直、信じられなかった。私は沙織の友達ではない。だけど、連絡をくれなかった。私が電話をかけると沙織は出た。家に帰ってきてほしい趣旨を伝えると、帰るけど、話したいことがあると言っていた。とても気になる。そして、背後にはショパンの夜想曲第20番が流れていた。それがまるで、今の私と沙織との距離を説明しているようだった。
沙織は家に着くや否や、頭を下げて、明日、家に帰ると言った。私がなぜ、と問うと疲れた、と言っていた。理由になってないと笑いながらハグをしようとすると、その手を弾かれた。拒絶された気がした。そんなことはありえない。私は沙織を部屋の真ん中に連れて行き、愛情表現をした。気がつくと、沙織の頬は赤くなり、足から血が出ていた。それを見て、私はより一層沙織のことが愛しくなり、私が守ってあげなければという気持ちになった。思いっきりハグをして、大好き、と言った。彼女が笑っていたのを覚えてる。
翌日、彼女はいなくなった。
---------------------------------------------
私は、沙織のことを今でも想っている。だけど、沙織がいなくなった。悲しいことだけれど、私は沙織を忘れない。いつまでも。
だから、私はビルの屋上に登り、彼女を探した。強い風と晴れているのに雨が降っている状況。
昔、死んだ誰かが、私に悲しみを教えてくれて、父と母に私は愛されていた。
そして、何より、沙織と出会えたことが私にとってとても幸福だったことだ。幸福だったことに気づいた。だからもう満足だ。
私は別れる。ショパンの夜想曲第20番を聞きながら、私自身と別れる。そうすれば私は幸福なまま終わる。それが私にとっての幸福で、誰にも邪魔させたくなかった。夜が深まる。私はまだ沙織のことを想っている。
これは後から聞いたことなのだが、沙織はまだ、私のことが好きらしい。
おしまい。
あとがき。
私は幸福である。そんなふうに思ったことがあまりないのは、基本的に、常に幸福な状態が続いているからだろうと思う。
幸福な人ほど、不幸な話を求める。それは、人間のないものねだりな部分なのだろうか。私は小説の主人公なんかが、不幸になればなるほど面白いって思ってしまう。不謹慎なのだろうか。ただのないものねだりであると考えている。
今回は「別れ」をテーマに書いた。この中のエピソードはすべてフィクションであるが、別れの時に感じる気持ちはノンフィクションであると思う。なぜ人は別れてしまうのか、別れが悲しいならなぜ出会いを恐れないのか。そんなことを考えていた。
ナンセンスな事だろうが、私にとってはそれなりに悲しい。出会いを大事に生きていきたい。