想像の斜め上をいくスターはただのエースで最高に輝いている「ハイキュー‼︎」
明るい性格、まっすぐで純粋な心、楽しむために頑張れるひたむきさ。ちょっと馬鹿っぽいところを持ち合わせながらも、誰からも慕われるその性格は、まさに頼れるヒーローやスターの素質だと思う。
世界に溢れるヒーローやスターに、捻くれた性格の人は少なくて、やっぱりまっすぐ純粋で正直な人に、多くの人は惹かれるのだ。
だけど、わたしが惹かれたのは、そんな性格でも顔でもなくて、彼が放ったこの言葉だった。
将来がどうだとか次の試合で勝てるかどうかとか一先ずどうでもいい
目の前の奴ブッ潰すことと自分の力が120%発揮された時の快感が全て
もしもその瞬間がきたら それがお前がバレーにハマる瞬間だ
「なんで頑張るんだろう」「なんで一生懸命になるんだろう」
試合が大好きだった。むしろ、試合しか好きじゃなかった。試合のための練習って、頭では分かっていても、楽しくない練習は大嫌いだった。それでもわたしは、一年生の時からレギュラーでコートに立っていた。
選手層は厚い方ではなかったけれど、同期に一年生大会さえ出られなかった子がいた。それなのに、毎日毎日きっちり練習をこなす子だった。
「スポーツはセンスだもんな。どんなに頑張ったって、センスがある人とない人じゃ大きく差がついちゃうよな」
そんなふうに思っていたのに、彼女は中学を卒業して高校でもバレーを続けることを耳にして驚いた。わたしは、進学先の高校でレギュラーは取れないと確信しやめたのに、彼女はそんなことも関係なく、バレーを続けたそうだった。
あの時はどうしても理解できなかった。なんで頑張るんだろう。なんであんなに一生懸命なんだろう。今頑張って、それが将来に繋がるなんて保証、一ミリもないのに、と。
だけど、そうじゃない。先のことはどうでも良くて、ただ純粋に「バレーボールが楽しい」から続けていたのかもしれない。彼の言葉を借りると、彼女はバレーボールに「ハマった」、わたしは「ハマれなかった」。たったそれだけだ。
勝負事で 本当に楽しむ為には強さが要る
できることが多くなればなるほど、武器が多ければ多いほど、いろんな攻撃に対応できるしたくさん楽しめる。頭の中でのイメージと自分の技術が追いついたとき、きっと、心から楽しいと思えるのだろう。
彼も、「バレーが楽しいと思うようになったのは最近だ」と言った。できなかったことができたとき、その快感を知ったとき、もう逃げられなくなる。もっとたくさんのことができるようになれば、もっと自分が強くなれば。その度にその快感を味わえる。
パワーがあって仲間思いで、バレーにまっすぐで。だから強いのだと思っていたけれど、そもそも彼は人一倍練習する。次の快感のために、「楽しい」を見つけるために。きっとわたしが知らないときもずっとずっと、地道な努力を続けてきたのだと思う。
だから、高校最後の試合で「ただのエース」になったとき、その背中はより大きく見えた。しょぼくれモードでテンションが下がったとき、彼のチームメイトはいつもそばにいたけれど、それさえも一人でなんとかしようと強くなったのだ。
そしてもちろん、技術的なことに関しても、ちょっとサボりたくなる日も、疲れて寝てしまいそうになるときも、彼はきっとひたすらに練習を積んできたのだろう。
さらに、「ただのエース」から「いつも元気」になったとき、また一段階彼はレベルアップした。「いつも元気」でいられるのも、努力が実った一つの形であって、「いつも元気」は才能なのだ。
しょぼくれモードの彼も好きだったけれど、その彼はもういない。彼は誰よりもまっすぐでひたむきで純粋でスターでヒーローで「ただのエース」だからだ。
もし、彼のあの言葉に出会えていなかったら、わたしはきっと、中学の同期のあの子の気持ちなんて、考えもしなかったと思う。わたしは、彼女が純粋に羨ましい。わたしがハマれなかったバレーに、彼女はハマったのだから。
それと同時に救われた。なんでも無駄なことなんて一つもない。将来に繋がるか、メリットがあるかどうかではなく、「今どう思うか」が大切なのだ。
わたしは、直接彼に会ってありがとうを伝えられない。何年かかっても、どんなに努力しても、できないのだ。
だけどきっと、この先もこれからも、何度だってページをめくるたびに、彼に助けられていくのだと思う。幸い、わたしを救ってくれた彼は、いつだってどこにいたって、会えるのだから。
世界の「ただの」大エース、木兎光太郎。お誕生日おめでとう。