見出し画像

とことん、わがままに人生を送りたい

最近ツイッターで「ゆるく生きる」という言葉を頻繁に使っている。「ゆるく生きる」は自然にわたしの生き方のモットーとなっていたからだ。


文字で押しつぶさないで

ツイッターでは毎日のように「誰よりも頑張る」「GWや年末年始、どれだけ作業できたかが結果を左右する」「テレビを見ている暇があったら手動かせ」などのツイートが流れてきて、たくさんのいいねが付いている。

言論の自由だから誰がなんと言おうと、わたしの人生に一ミリも関係ないので「またこういう人が出てきたな〜」とスルーをしていて、基本的にわたしは自分に甘い。

「誰よりも頑張る」は誰と比べて頑張る?GWや年末年始、やる気が一切起きなかったら負け組?テレビを見ていたらダメな人?(わたしはテレビが大好き)

頭にハテナマークがたくさん生まれる。


「しっかりしてるね」の呪縛

今はゆるく地球に存在しているわたしだが、物心ついたときから正社員をやめるまでの20数年間、誰よりも頑張って良い子に生きてきた。

小さい頃から周りから「しっかりしてるね」「ちゃんと自分の意見が言えるのね」と褒められてきた。「しっかりしてると褒められる」と知ってから、ふざけることもしなくなったし、ただひたすらまっすぐに、親にも先生にも褒められるよう真面目にコツコツと生きてきた。


反抗期はあったけれど、法を破るようなことはしなかったし、高校生のときでも部活が終わってまっすぐ帰宅していたし、友達と遊んだ日も夜9時には家に帰っていた。

新入社員として就職した旅行会社でも、誰よりも電話に出て、誰よりもメールの返信をして、誰よりも予約を多く取っていた。それが成績に繋がり、入社半年で始めて社内でトップの成績を取り、それからやめるまでの一年半、営業成績は常に一番だった。


社会の落とし穴

ただ、そんな評価は一歩外に出てしまえば何にもなくなって、わたしはただの「わたし」に戻る。どんなに予約を取っていたって、どんなに成績が良かったって、どんなに「良い子だ」と褒められたって、フィールドが違えばそのフィールドでの採点基準になる。

そして、社会には、頑張る人に目をつけて権力でボコボコ殴って殴って、KOさせようとする人も大勢いる。

面白くないものはグーパンチでなんどもなぐり、黙っていていうことを聞くならまるで駒のように扱う。


面白くない、面白くない、面白くない。

せっかく少しずつ積み上げてきた岩を、ハンマーでがーんと殴って粉々に崩されたとき。

少しずつ固めて作った高い砂の城に、バケツで思いっきり水をかけて崩されたとき。

もう立ち直れないと塞ぎ込んでしまうと、それを横目に、にひひ、と笑われる。


わたしは落ちこぼれ

不器用だったから、人とうまくコミュニケーションが取れなくて、人との距離感がわからなくて、それでも結果を出せば好かれると思っていたのに。

現実は全然違った。社会はそんな甘くなかった。


くそまじめにルールに従って生きてきたわたしは、一生懸命期待に応えようといつも120%で挑んできたわたしは、とても損をしていることに気づいた。


もっと好きなように生きて良い、どうせ打たれる釘なら打たれてることさえわからないくらい、自分の好きなように生きたい。


誰かに認められるために生きてきたわたしを捨てて、自分が傷つかないように、つらくならないように、心が押しつぶされないように。

給料は減った。仕事量は増えた。それでもわたしは、自分を守るためにゆるく生きる。頑張りすぎないように、息の根が絶えるその瞬間、わたしはわたしで良かったなと思えるような人生を送りたいから。