映画やドラマのサイドストーリーでわたしの楽しみを奪わないでください
TVerの見逃し配信ドラマを見ていたら、作品の最後にサイドストーリーのお知らせがやってきた。
サイドストーリーは、本編で描けなかった話を20分程度の話にまとめた、ドラマをもっと面白くする作品らしい。インターネット限定で配信されており、見たい人が見られる設定になっていて、2019年から一気に増えた気がする。
まず最初に伝えたおきたいのは、サイドストーリーやスピンオフを否定したいわけではない。見たい人が見られる設定になっているのもとても良いと思うし、見て理解が深まることもあるわけで。
実際に、大ヒット映画「スター・ウォーズ」シリーズのスピンオフである「ローグ・ワン」は最高の出来だった。「スター・ウォーズ」シリーズがあまり好きではなくて、なかなかハマれなかったわたしが、唯一シリーズの中で大好きな作品だ。
このように、スピンオフ作品が必要不可欠なケースもある。ただ、最近の邦画や国内ドラマはどうか。サイドストーリーと称し、別の人をターゲットにしてその人目線で別の作品を描いてしまうことにより、本編そのものの楽しさを半減させてしまっている気がする。
ストーリーは大抵主人公が良く訪れるカフェの店員さんがいて、その店員さんの一日を描く、と言ったような具合。
お願い、お願いだから、そこはわたしたちに想像させてよ。
そのカフェの店員さんの一言で解ける事件ってあるじゃん。それって、その人が良くわからないから、「なんでこのときあの一言を呟いたんだろう?」ってなるじゃん。で、あまり出てこない店員さんの仕草や行動から「なんでだろうなあ」と想像するのが、映画やドラマの醍醐味の一つだと思うんよ。
そこにスポットライトを当てるな。お願いだから!
ちなみに、わたしはもともと年間150〜180本の映画を観る生粋の映画好き。これまでさまざまな映画を見てきたが、その楽しみ方にもこだわりがある。
だからこそ、映画やドラマを愛しているからこそ、サイドストーリーはわたしに必要ないのだ。
昔、誰かが「教育ってなぜこうなったのか?を子供に説明せず、丸暗記させるからダメなんだよね。物事には全て理由があるけれど、全てを教えてくれない隠されている理由がある。それを読み取る力を育てないと」と言っていた。
サイドストーリーはまさにこの通りだ。ストーリーは伝えたいことをはっきり言葉にしない、読者や視聴者に考えさせるものだったはずなのに、「はいどうぞ。これが答えですよ」という作品を作られてしまうと、こちらは想像を超えられない。作品から生まれる感情や学びが制限させられてしまうのだ。
だから、お願い。サイドストーリーでネタバラシだけはやめてくれ。
映画を愛する小娘より。