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右も左もわからないまま、歩みだけは止めてはいけないという言葉を信じて進む

常に確実な目標に向かって進む人を、羨ましいと思っていた。いや、今も羨ましいと思う。前だけ向いて、ゴールしか見えてなくて、とにかく突っ走っていく。明確な目標があって、そこにたどり着けると信じて、毎日努力は欠かさなくて。

わたしは目標とか努力とか苦手で、そういうの全部どこかに置いてきてしまったから、純粋にまっすぐ進んでいく人が、ただただ輝いていて眩しい。


いつかはわたしも。そんな風に思って歩みを進めてみたものの、やっぱり途中で迷子になる。

こんなはずじゃなかったのに、こんなところで立ち止まる余裕なんてないのに。輝く背中をみてわたしもああなりたいと思ったのに。現実はそう、甘くない。


たとえば今も、毎日自分の言葉でエッセイを書きたいと思ってはじめたnoteの毎日更新が、辛くなっている。

疲れているのか。基本休みの日は家から一歩も出ないわたしが、ちょっと背伸びをして二日連続外に出てしまったから、ちゃんと休めていないからなのか。

全然頭が働かない。何を書いたらいいかも正直わかっていない。心がモヤモヤして、このままじゃダメだとわかっているのに、何を伝えたいかもわからないまま、今もこうしてキーボードを打つ手が止められない。


これまで、自分自身を「飽き性だから」といって、何事も納得させてきた。途中で諦めるのも、やりたくなくなるのも、つまらなくなるのも、全部全部わたしが飽き性だから。そうやって自分自身を守って、傷つかないように、生きてきた。

わたしを傷つけるものからは全速力で逃げて。逃げた先にはまた壁が立ちはだかって、また逃げて。勝負はしない。傷ついたら痛いから。だから一生学ばない。傷ついて学ぶことだってたくさんあるはずなのに、傷つきたくないという一心で、逃げてきた。


世の中は本当に生きづらい。できるだけ楽に、楽しく、生きていこうとしているわたしでさえも生きづらいと思う。でもきっとわたしみたいな人は日本にたくさんいて、今もどこかでモヤモヤ葛藤していると思うと、なんだか少し、安心する。

大丈夫。歩みさえ止めなきゃ何か答えは見えてくるから。

そんな言葉を直接掛けられたわけじゃない。だけど今わたしがちゃんと立っていられる心の支えになっているこの言葉を、全力で信じるほかない。


今日も暗闇の中目を閉じれば、気付くといつの間にか朝が来ている。きっと明日の朝も眠い目を擦って、ボーッとする頭を懸命に動かし、だるい体にムチを打ちながら、生きていくんだろう。