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雑文 #119
レコードをめぐる冒険はまだ続く。(雑文 #118 の続きです)
日曜日のイオン。秋田でもっとも人が集まるスポットだ。
イオンの中にHMVがある。私は取り置きしたくるりの『アンテナ』を求めて普段は行きたくないそのスポットへ向かった。
宝物は秋田にあった(青い鳥的な)。だけどこの価値を知る人は、このイオン内に私の他にいないだろう。ひとりもいないと言っていいと思う。だってねえ、田舎のイオンってどんなもんだかみんなご存知でしょ…?
改装したてのイオンだ。新しい店舗をぶらつこうとするが、何にも興味が持てない。洋服や雑貨やらにまったく興味が持てない自分に気づいた。だって世の中で一番イケてるものを手に持ってるのだもの。早く帰ってこれ聴こう…と食料品だけ買って帰った。
実は他のレコードもこの日まで聴けなかった。
私は実家暮らしで、レコードプレイヤーはほぼ一日中両親がいる部屋にある。夜はいないけど、うるさいだろうから聴けない。だからこの日を待っていた。この日曜日から、両親が5日間ほど留守をするのだ…!
そういえばレコードを触ること自体とても久し振りだ。もしかしたらリアルタイムでレコード(とカセットテープ)しかなかった時代以降触っていないのでは?黒くずっしりとしたLP盤を手に取った瞬間私は思った。
そのとき私はモーツァルトのピアノソナタのレコードを持っていた。レコードに針を落とすのがあまりにも久し振りで、まずは試しに…とその辺にあるものを手に取ったのだ。
私はモーツァルトのピアノソナタを聴きながら、『さよならストレンジャー』から時系列的に聴くべきか、『アンテナ』から聴いちゃうか、悩んだ。なんて幸せな悩みだ。
音の記憶。それは一瞬で蘇る。匂いとかに似たものだ。針を落とした瞬間の「プツッ」という音。私は子どもの頃に舞い戻った。恐る恐る、丁寧に、大事に音楽を扱っていたあの頃に。
レコードはめんどくさい。大きいし、傷や埃に敏感にならなくてはならない。針もマメに換えなくてはならない。そして、もしアルバムの中に好きじゃない曲や気分じゃない曲があってもとばせない。
このとばせなさを私は愛おしく思った。アルバム一枚をまるまる聴かざるを得ない。そしてA面からB面へと裏返す手間。二枚組のアルバムは計3回裏返さなくてはならない。
私は音楽の専門的なことはわからない。ただ感覚でしかないけど、くるりのレコードの音はCDで聴いているものと違って聴こえた。まず、ライブ感があると思った。すぐそこで演奏されているような親しみがあった。結局いちばん最初に聴くことを選んだ『アンテナ』を聴き終えた私の感想は「湿り気がある」だった。あんまりいい言いかたではないかもしれないけれど、音が湿っているのだ。
主旋律ではない音や効果音も拾って聴く。巻き戻せないしとばせないから瞬間瞬間を大事に聴く。私はくるりのアルバムとこれまでより親しくなれたような気がした。
夜な夜な私は聴いた(隣りは空き地なので夜も音を出せる。ビバ田舎!)
レコードと猫とウイスキーの黄金三角形。なんて楽しくて深い夜だ。
『アンテナ』と『THE WORLD IS MINE』の音がとくに素晴らしい。
これはポチって買ういまの文化と対極にある。アルバムを曲順に聴くことを余儀なくされるのだから。だけど改めてアルバムは、アルバムとしてひとつの作品だとしみじみ思う。
そのことに気づいたのは恥ずかしながら30代になって、キング・クリムゾンやピンク・フロイドを知ったときだった。ベストアルバムなんて聴いてる場合じゃない!と思った。それを踏まえたら例えばくるりの『さよならストレンジャー』の物語性に改めて唸った。メジャーデビュー一枚目にしてこんな物語を作るとは…
曲順や構成が非常によく考えられている。だから私はアルバムが好きだ。物語が大好きだから。
ひとつの作品を仕上げるのにどれだけの労力とアイディアとチームワークが注ぎこまれるのだろう。尊敬してしまう。
トップの写真は「WORLD'S END SUPERNOVA」にメロメロな愛猫。かなりの音量なのに。四つ打ちが好きだったとは…なんてイケてる猫なんだ。