
雑文 #68
一人で過ごす時間が多すぎて(仕事も一人である)、独り言がついつい毒っぽくなる。
一人花見をした。
職場のすぐ裏が大きな公園で桜の名所なので、夜店がたくさん立つし、帰りに気軽に寄ってビールとたこ焼きでも…と思ったのだ(実際は広島焼きを食べた)
数年前、やはり同じことをしてひどく寂しい気持ちになったのだが、今回はなぜか全然寂しくなかった。
ひたすら愉快だった。
桜もひたすら満開だったし人々もひたすら楽しそうだった。
私は成長したのかな、と思った。
まぁ「一人が平気」っていうのは悪い面もある、と、心のどこかが警告してはいるのだが。
ところでその日はすごくきれいな満月で、私はその公園によく行くのでビールと広島焼き片手にお気に入りの場所に向かうと、空いてるわけないと思ってたベンチが空いていた。
赤い満月。後で知ったがピンクムーンというらしい。
だんだん暮れゆく空と満開の桜と相まって、神秘的でちょっとハッとするような景色だった。
すべてが満ちている。
いつも遠くの山を眺めるそのベンチで、私は月景色を眺める。
普段ひと気のない公園は都会の公園のような人出で、私はしばらく味わっていなかった華やぎに喜ぶ。
この感じを覚えておこう。そう思った。とてもいい感じだったから。
気づくと、月があんまりきれいなので、私の後ろ辺りに入れ替わり立ち替わり写真を撮りに来る人が。
フラッシュもたかれる。
私の前に立って写真を撮る子どもも。
子どものニンテンドーDSにはうまく写らない。
そう、月は目で見るのと写真とは(よほどの高性能カメラでない限り)月とスッポンなんだよ。
私は知っていた。月、大好きだから。
そして私は気がついた。
写真を撮っている人は、写真を撮ったことに満足し、あんまりその景色そのものを見ていないということに。
もったいない。
私は30分くらい楽しんだよ。それくらい眺め甲斐のある景色だったのだ。
私は思った。
写真を撮るのもいいけど、あんまり何でも写真を撮ると、その瞬間の本当の美しさを見逃してしまう。
私も思い当たる。
風や匂いやちょっとした揺らぎのようなものは、少なくともスマホには収まらない。
感じることを退化させてしまうのではないかな。
とか思いながら、今日この満開の雪柳を撮った(笑)
でもその白さや眩しさ、たおやかな枝が風に揺れる様子をちゃんと目にも焼き付けた。
目というより、心に焼き付けたのだ。