雑文 #153
あっという間に今年になってしまった。
そしてあっという間に春になろうとしている。
私が新しい暮らしを始めて1年が過ぎたのだ、と、会社に行く途中の曲がり角の沈丁花の香りで気づいた。
東京の冬は概ね晴れて、秋田みたいに暗くもなく寒くもなかったけれど、私の心はおんなじかむしろもっと暗かった。
ある人のことで悩んで、ずっとそのことを考えて夢にまで象徴的に出てきて、家族と協力してやってるけど皆どうしたらよいかわからず、途方に暮れながらも知恵を出し合って、その労力で私はほとんど費やされてる。具体的に私は何もできていないけど、ただ悩んでる。それと日々手紙を受け取っている。
去年冬になるころ、私は俄然元気がなくなった。本当に何も興味がなくなり、休みの日は家から出なくなった。
仕事をしなくてはならないのでそれは粛々とやって、家事をして、それ以外の時間はひたすら読書と映画鑑賞に充てていた。
と言えば、なんか文化的なことをしているようだが、私はなるべく心を動かされなさそうな小説や映画を選んだ。推理小説とかサスペンス映画とか。映画はもちろん家で観る。鑑賞後(読後)何も考えなくていい、芸術性の低いエンターテイメント作品を好む。なるべく現実的でない話を。
普段けっこう時間を取られていたSNSはすっかり見なくなった。かつての10分の1くらい。情報には疎くなった。でも興味がないのでそれでよい。
そして、友達への連絡も自分からはしなくなった。孤独で、悩んでいて、時間があるのに、助けを求めない。
外に向きたくなかった。単純に家から出たくない。人に手を差し伸べたくない。
どうしてこんな気分になっちゃったんだろう。じきに解消されるんじゃないかって思ってる。というか解消されたい。
坂口恭平さんという人がいて、以前から気になっていたが今年になってからさらに気になるようになり、今日Twitterを見たら彼は薬をやめたと言っていた。そして通院もやめると。11年かかったけどやめられそうだと。
自分なりの薬を見つけたからだと言う。それは「書くこと」なんだって。
わかる。書くことがセラピーになるのはとてもよくわかる。とにかく毎日書き続けることなんだって。
彼は小説家なので発表できるものを書いているのだが、発表できないならどうだろう。人知れず日記をそんなに書き続けられるものか?彼は自由業だから、書くことに時間が割けるけど、私は外で働いているのに、毎日書ける?
でも書くとスッキリしたり気持ちが落ち着いたりするのは私も感じるのである。自分だけが見るものにすると、心の澱みが際限なく溢れてきそうだから、ある程度人目につく可能性があるところで書くのがよいと思う。
ということで、私の2018~19年冬のもやもやを書いてみた。
筆を取る(キーボードを叩く)気持ちにさせてくれたのは、昨日の小山田壮平さんと折坂悠太さんのライブを観たことです。
とても良いライブでした(しかも最前列でした)
いろんな葛藤があって幸せなこともあってそして純粋に音楽が好きでこの人たちはここにいるのだなぁと思いました。
気分が軽くなった私は友人のLINEに「ライブは薬だね」と書いて送っていたのでした。
書くことと、音楽のライブは私にとってお薬なのでした。
あと一緒に暮らしている愛猫・桃も。