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雑文 #121
今日は雪がひらひらと舞ってとても寒い。
6年前の3月11日、自宅にいた私は強い揺れに驚いて母とふたり、とりあえず猫だけ抱いて外に避難した。
その猫は老衰で死んでしまってもういない。いま一緒に住んでいる桃という猫はまだ生まれてさえいない、そんな頃。
その日は停電したので、家族が一つの部屋で寝た。私はほとんど眠れなかった。
翌日の昼頃電気が通った。私たちは電気がないと生活にものすごい支障が出るということを痛感した。
ホッとしたので私は自分の部屋の椅子でテレビを観ながら眠ってしまった。そうしていると、テレビがわんわん叫び出した。私は寝起きが悪く「なんだ、うるさいな」と思った。しばらく夢とうつつを行き来した。夢の中で「原子力発電所が…」という言葉が聞こえ、悪夢かと思いながら、あんまり騒いでるので仕方なく目を開けた。
そうしたら本当に原子力発電所から煙が上がっていた。「嘘だ」と私は思った。ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ映像を初めて見たときのように。テレビが冗談をやっているのかと思った。
でもその切迫した感じはドラマでもないし嘘でもなさそうだ。貿易センタービル以上の驚きだ。悲観的な私は「日本終わった」と思った。
そして転げるように階段を下りて居間に行き、家族と話したように思う。
官房長官が盛んに「ただちに人体に影響はないレベル」と放射線のことを説明した。悲観的な私は「ではじょじょに影響が出てくるという意味か」と思った。
テレビを観ていたら、福島第一原子力発電所からそう遠くないところに住む人々がインタビューを受けていた。その中に子どもを庭で遊ばせている人がいた。「いますぐその子どもたち、家の中に入って!」…私が叫んだって誰にも聞こえやしない。
テレビの報道は「原発はいまのところ大丈夫」が主流で、私はますます恐ろしくなった。平気で噓をつくのだ。政府も報道も。
いや、それは平気ではなかったのかもしれない。パニックを起こさせないために必死だったのかもしれない。実際パニックは起こらなかった。海外に住んでいる知り合いがいる人は「日本がやばいことになってるって大騒ぎになってる」と言う。悲観的な私は貯金を外貨に換えた。
タブーとなっているのか、誰も原発事故のことを言わない空気がテレビに漂っていた。そんな中ビートたけしが夜の番組の最後の最後にぽつりと言った。「あれ、マイクロシーベルトとかミリシーベルトとか、毎時とか毎分とか、いろいろ単位がごっちゃになっててわからないねえ」
…そうなのか!ひらめいて、私はネットで放射線量のマップを見た。たしか文部科学省が作っているものだったと思う。ただ事務的に、ずっと前から粛々と発表し続けているような全国のデータマップだ。事故後一週間くらいだっただろうか。算数の苦手な私は妹とふたりで何度も何度も計算し、福島第一原子力発電所の北西に、強い強い放射能が出ていることを知った。それは作業員が毎時浴びていい放射線のレベルの限界を遥かに超えていた。のちにそれは飯館村の辺りだったと知る。
風の流れだろうか、とか、秋田は山があるから大丈夫かねえ、とか、私と妹は本気で話した。でもあんまり恐ろしいから親には言わないでおこうねと言い合った。
あれをきっかけに変わったか?と訊かれれば、変わらないこともたくさんあるけど、ひとつ確かに変わったことがある。あれのせいだけではないけれど、あれがかなり影響を及ぼしたことだ。私としては残念な結果だ。
でもあれがなくてもこうなっていたのかもしれない。未来はわからない。
過去は悔やみたくない。
ジジ(老衰で死んだ猫)に会いたいなぁ。
合掌。