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アルナーチャラへの道③

滞在記をお待ちの方には申し訳ございませんが、もう少し辿り着くまでの記録にお付き合いくださいませ。


インターネットでインドへの行き方を調べているうちに、アルナーチャラへの行き方に特化した「ラマナ・マハルシの臨在」というサイトのことを思い出しました。

シュリー・バガヴァーン・ラマナ・マハルシを知ってからというもの、色々と検索もしてmixiのラマナ・マハルシのコミュニティに入ったりして、そこにそのサイトの管理人の方がいたことをなぜ忘れていたのかわかりませんが。

そのサイトの管理人のシリウスさんに連絡をすることも実は勇気が必要でした。

「この方にアルナーチャラに行きたいと連絡することで引き返せなくなる・・・」

こんなふうに、どこかで行くことが怖いという気持ちはずっとありました。


そういえば、インドは食べ物が合わなさそうだしお腹を壊すことで有名だから無理だと思っていた頃もありました。

それも確か2016年に友達がインド料理のお店に連れて行ってくれた時に、そのあまりのおいしさに「インドこれなら行ける!」と思えたのでした。

その時食べた料理は、バターチキンカレーで、アルナーチャラのある南インドの料理とは全く別物だったのですが、インドへの不安を取り除く(かなり)大きなきっかけのひとつでした。

画像はお店のクチコミからお借りしました



シリウスさんに来年の8月にアルナーチャラに行きたいことを連絡して、ラマナミーティングということでお会いすることになったのは2017年の3月でした。


その前に、だいたい何月に何をするかをざっくり教えていただいてました。

☆3月に飛行機のチケットを取ること。

これは絶対そうというわけではなく、半年前に取れば安く取れること。
ただし安いチケットは変更はきかないこと。
必然的にその前にパスポートが必要になること。

日付けの変更する気はさらさらなかったので(日付けの決め方のロマンが大事な魚座ポイント)いつチケットを取ればいいのかわかってありがたかったです。


☆滞在希望の2ヶ月前の6月くらいにはラマナアシュラムに連絡して滞在許可をもらった方がいい事。

これも直前だとアシュラムから滞在許可がもらえない可能性があるためで、近隣の宿泊施設に泊まるならその限りではありません。

私はどうしてもラマナアシュラムにゲストとして行きたかったのです。

☆滞在希望の1ヶ月前にはインドヴィザを取得しといた方がいいこと。

これも当時現地の空港でも取れたのですが、英語も喋れない私にはそれはハードルが高すぎたので、大阪のインド領事館で取りました。



そうこうしてたら年末になって、シリウスさんから郵便物が届きました。

中を開けてみると、バガヴァーンのカレンダーが入っていました。

舞原さなえさんのブログを読んだ時に出てきたそのカレンダー。

欲しくて欲しくて、でも手に入りそうなところにはどこにも売ってなくて。
(※ラマナアシュラムで販売されてます。今はオンラインでの販売もしてるみたいだけど購入したことはありません。https://bookstore.sriramanamaharshi.org/product-category/calendar-2022/

バッグなども購入できるみたいですね~)

その時のブログのタイトルは未だに覚えています。

「全私が泣いた!」です。

めちゃくちゃ嬉しかった・・・!

この時のお写真は今も額縁に入れてます


こんなふうに8月に「行こう」と初めて思ってから行くまでに1年かかってますが、実際にはパスポートと旅費をお持ちであればすぐにでも行けます。

私は英会話サークルに行ったり、伊勢参りをしたり、シリウスさんに連絡したりと様々な実務的(?)なことをこなしながら、その度に「こわいよーーー!!」という気持ちで、行動する前にいちいち逡巡してました。
でもその度に、後押しするようなことも起こってくるのでした。

アルナーチャラに行こうと思ってからはシンクロの連続でした。

何からしていいかわからなかったときにテレビをつけたら英会話のCMが流れて、英会話の勉強をしようと思ったり。
これもワンコインの英会話サークルを見つけて行ってみました。
そのサークルで英語でなぜ英会話を習いたいと思ったのか言う機会がありました。

「ラマナ・マハルシが大好きなのでインドに行きたいから。」

ということを喋るのに、インドをインディアとすら言えてなかった私です。ふふ



こうして

「自分なんかインドに行けるわけない」

という否定的な思いは、それを上回る

「どうしても行きたいっっ!!」

という情熱が燃やしてくれました。

「自己否定」いう重い鉛を、情熱の炎が燃やして様々なことを可能にしていく、これこそ錬金術だと思いました。




そして肝心の旅費をその当時していた仕事を増やすことでなんとかしようと思っていたら、それは逡巡どころか、個人的に最も怖いと思える方法が用意されていました。

「シヴァめ・・・」と悪態をついたのも覚えています。

あの時はごめんなさい

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