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心を揺さぶるもの。

「ちゃんと相手に伝わるように、情報を整理して、わかりやすく伝えましょう」

こういう言葉を、これまで何度も耳にしました。
(ライターとして、私自身も口にしてきました)

これが言わんとすることは、もちろん理解できます。とくに仕事上のコミュニケーションでは、物事をいかに端的に、誤解を生まないように伝えるかが大事。筋道の通った文章が求められるのも、相手の立場や状況を配慮してしっかりと言葉を選ぶ必要があるのも、間違いなく「そりゃそうだ」となります。

自分の好きなように表現していては、うまくいかないことがたくさん。「個性バリバリ、勢い任せの熱いプレゼン」では評価されにくい現実があるのも、よーくわかっています。本音を隠さなきゃいけないことだって、たくさんありますよね。

でも。

私は人間として、人の心を強く揺さぶるのは、テクニックやスキルやこねくりまわした意図ではない、「真っ直ぐな気持ち」「情熱」だと思っています。
(わざわざ言葉にすると青臭い感じだけれど、やっぱりここに行きつきます)

だって、これまでに私は、誰かの本気の言葉や強い想いで幸せな気持ちになったり、自分でも引くほど涙を流したりしたことが何度もあるから。

ふわっとした楽しみや小さなワクワクは日常でたくさん味わえるけれど、心の底から震えるほど感激できるのは、エネルギーがほとばしっているものや、純度の高いものに触れたとき。

それが、たとえグチャグチャで、一見わかりやすくない表現でも。
自分の心がグイッと動き、生きている実感が得られる…そんなものに、時々すごく触れたくなります。

私にとってそれを強く感じられるのは、作者の魂が入り込んでいるアート作品。それと、社会的な立場とか仕事の役割とかそういうのを超えて、「人と人」として本気で向き合えるコミュニケーションだな、と。



伝える仕事をしてきた中で、強く感じるようになったこと。

それは、言いたいことがあったときに「きれいに伝えなきゃ、体裁を整えなきゃ」と考え過ぎると、どんどん自分を見失うことにもつながりかねない恐ろしさ…。

だから、私はTPOや目的に合わせた表現はするけれど、やっぱり大切にしたいのは本質。自分の一番核になるものは失いたくない。

自分を飾り立てて嘘まみれになってしまうなら、きれいに見えなくても「本当の想い」を伝えたい。
そして、誰かの小さな心の声を、しっかり感じられる人でもありたい。

そんなつもりなかったのに傷ついたり、傷つけたりすることもあるかもしれないけれど…遠慮や嘘に包まれた生き方よりも、人間らしくていいじゃないって思っています。

これが、「わかりやすさ」や「整ったもの」が求められがちな日々の中で、いつまでも大切にしていたいこと。

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