寂しさを癒す旅 : 今日はGUCCIをブっ壊したっすね
朝の4時半。26歳だと言うモンゴル人のお兄さんが入って来た。背は小さいが筋肉質でガタイが良い。服装から、肉体労働者だとすぐに分かった。
仕事が深夜に終わり、始発を待つため、ふらりと入って来たと言う。なんの仕事か聞いてみた。
「カイタイっすね」
「カイタイ?」
「そうっす。店舗を壊してスケルトンの状態にするんっす」
解体業の会社に5年ほど勤めていると言う彼は、訛りもなく自然な日本語で話しやすかったが、語尾がなぜかすべて「〜っすね」で統一されていた。
「今日はGUCCIをブっ壊したっすね」
「すごい(笑)壊すのって大変そう!」
「オレ体力あるし、技術も先輩から覚えたんで、今はうまいんっすね。この店なら小さいから…… 15分くらいで壊せるっすね(笑)」
「〜っすね」は、おそらく同僚の日本人の口癖を真似ているのだろう。いまどきの日本語がうまいアメリカやヨーロッパの若者達とは、違うルートで、日本語を学んだことが分かる。そういう子達の場合、日本のアニメを見て育って日本に憧れ、SNSや語学アプリ、ユーチューブなどを駆使して、スマートに吸収している。
しかしモンゴルお兄さんの、ヤカラっぽい口癖は、直接に人間と関わって覚えたことが分かる。
「〜っすね」は普通、女性は使わない。だから外国語を学ぶルートとして黄金の方法である「日本人の奥さんや彼女」もいないのだろう。私は疲れた頭でぼんやりとそんなプロファイリングだけをしていた。
もう店じまいの時間だ。接客をする元気も残っていないこともあり、お兄さんがゆっくりビールを飲み終わるまでほとんど無言で放っておいた。少し気を利かせて話を弾ませてあげるべきなのだが、私は知り合いが店に来た時のような、ちょっとほっとした気持ちになっていたのだ。
そんな自分の安堵感と、彼の労働の後の至福のビールタイムは似合う気がして、それを共有することにした。そして、なぜ私がこんなにほっとしているのかを考えてみた。最近のゴールデン街は、ますます観光地化が進んでいる。来る外国人達は、いわゆるホワイトカラーというのか、大企業に勤めていたり、公務員だったりで、安定した豊かな収入のあるアメリカやヨーロッパのサラリーマン達が、10日とか2週間くらいかけて日本一周ツアーにやって来るその合間にこの街を訪れるのである。
店に来る外国人客には、必ず旅程を聞くようにしているのだが、皆ほとんど同じだ。
東京、大阪、京都、北陸、九州など何ヶ所も周る。そこに北海道や沖縄を加える人も珍しくない。地方の有名な宿を取り、有名なレストランを訪ね、和牛や寿司を食べ、温泉につかる。日本人でも手が出ない、こんな豪華な旅が出来る理由は、もちろん円安という状況もあるが、外国人は「ジャパンレイルパス」という乗り放題の新幹線のチケットを使うことが出来るからだ。
コロナ禍が明け、店にインバウンド客が押しかけてきた当初は、そんな観光客をありがたくほほ笑ましく思ったが、最近はまるで判を押したような観光客の同じ受け答えに、本音では少し食傷気味になってきた。
しかし、観光地というものはそういうところなのだ。
ゴールデン街は、外国人が豪華な日本の旅の途中で立ち寄る「TOKYOのちょっと怪しげな路地裏」という余興だ。
そんな路地にいる、英語が話せる日本人のお姉さんとして、私はカウンターの中にいる。日本の旅の感想を聞いてあげ、インターネットに載っていない日本人の文化や街の情報を教えれば、彼らは喜んでくれる。それがうれしく、何より店が繁盛した。
しかし、私は定型化されたそんなやり取りに、少し飽きているのだろう。
コロナ禍の間は、閑散とした路地を片目に見ながら、「誰でもいいから客が来ないかな」とあれほど思っていたのに。こうして安定して観光客が入ってくると、つまらないと思ってしまう自分がいて、我ながら勝手なものだなと思う。
いずれにせよ、肉体労働を終えてビールを飲みに来ただけのヤカラっぽい日本語を話すモンゴルのお兄さんに、私は癒されていた。2杯目のビールを注文してくれたので、聞いてみた。
「お兄さんは、何で日本で働いてるの?」
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