感謝がイマイチわからない。そして体が辛い。の、カラクリ。
感謝ができない。
感謝がよくわからない。
これについては過去にここでも書いてますが、
さらに自分の中で深まったので書いてます。
久々に文章書くの楽しいや〜💨
感謝ができない、よくわからない。
今回はここに、身体が不調がち。というのも加えたい。
最初に言っておくよ、結論は当たり前すぎることです。
よく聞く言葉だわ〜と言って読み流すのもアリだし、なんか気になるって人は是非、自分の身体に一度落とし込むように読んでみてね。
感謝ができない、よくわからない。
身体が不調がち。
当てはまる人の大体がおそらく、
考えすぎです。
考えすぎってよく聞くよね。
考えすぎってどういう意味だろう。
考えすぎって私も小さい頃からよ〜く言われてきました。
考えすぎって言われてもね、よくわからなかった。
これが自分にとっての普通だったからね。
考えすぎって言うから、つい自分の思考にフォーカスが当たってたんだけど、昨日、量子力学を伝える村松先生という方の発信を見ていて気づいたんです。(村松先生の新刊出てるよ〜今日届くんだ〜楽しみ。)
考えすぎ=今を生きていない
考えすぎ=過去か未来を生きている
なのだと。
ね、当たり前というか、よく聞く言葉でしょ。
私もそう思って今まで生きてきましたが、今は自分に盛大に謝罪会見を開きたいと思っています。笑
考えすぎることについて、
まず、考えるということを自ら選択している、というのがあります。
頭は勝手には動きません。何度も繰り返し癖がつくことで、まるで勝手に動くように感じてしまっているだけです。
自分が考えることを選んでいる。ということを知っておこう。
そして、その考える中で、どんなことを考えるのか、何を採用しているのかも選んでいるということを理解すること。
今を生きずに、過去や未来のことを考えることを採用し、そしてわざわざ自分を不快にさせるようなことを考えているということを知っておく。
んでもって、不調がちな人が多い印象です、考えすぎな人。
もしくはエネルギッシュさに欠けているというか、自分の力を思い切り使いきれていない印象があります。
エネルギーは、”今この瞬間”にフォーカスすることで、開花します。
でも考えすぎることで、今にフォーカスできないということは、なんとなくわかりますよね。
エネルギーを十分に扱えていないということです。
そして、感謝。
私のまわりにいます、この人は何にでも感謝するんだな〜って人。(なんか嫌な言い方ですが、感謝がよくわからない人間からするとこんな言い方になるんです笑)
でも今なら少しわかります。
何にでも感謝が湧く人って、今この瞬間を生きているんです。
味わうのがうまい人たちなんです。
味わうって、今この瞬間にフォーカスしないとできないことですよね。
今この瞬間の状況、感覚にフォーカスしてはじめて、「ありがたいな〜」という気持ちが湧いてくるんですね。
振り返ると、私の感謝って浅かったんですよ笑
口では言ってますけど…みたいな感覚がいつもどこかにあったんです。「なんかおかしいな…」と思ってたんです。
今この瞬間の感謝半分、あとの半分は明らかに今じゃないところにいたんですね笑
私の感謝がわかる経験は数少ないですけど笑、
それは決まって瞑想の時でした。
瞑想は今この瞬間の自分、呼吸を意識すること。(他にも目的はあるんでしょうけど)
呼吸に意識をしているだけでわかってくるんです、感謝の感覚が。
今この瞬間には何も問題がないこと。
今この瞬間、安全な場所にいること。
その安全な場所にはあれもあってこれもあって、
なんて豊かなんだろうと…。
そして身体。
私は今、身に覚えがある痛みを体験しています。
人生で一番辛かった時期に感じていた痛みに近いもの。
ここ数日、自分が嫌だなと思う状況が、自分のなんのために起こっているんだろう?と考える癖をつけていて。
痛みについても、「この痛みは自分のなんのため?」
数日間感じ、考えていました。
そしてこの話に繋がったんです。
『今に帰ってきなさい』
そんなメッセージに感じました。
痛みを感じてる時って、感じながら過去や未来のことを考えることは難しいですよね。痛みにフォーカスがいく。
痛みって、今なんですよね。
それを辛いからって薬や気を散らすことで忘れ、また思考はあっちいったりこっちいったり…笑
そこに気づかない限り、痛みは続くのではないかと思っています。
私の婦人疾患も、ここまで大事にしたってことは、
それだけ今を生きてこなかったんだと、とても痛感しています。
「今この瞬間を生きる」
よく聞く言葉だけど、わかってなかったな。
自分に謝罪です、まずは。
それから、私に痛みとして伝え続けてくれた体に感謝します。
今この瞬間を生きる。
考えすぎな私はいつかいなくなるんだろうなと思っています。