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『全修。』:物語創作のテーマと5人の広瀬ナツ子
『全修。』は物語の全容が明らかになっていないため、本作のテーマが何か現時点(2025年1月15日、第2話まで放映済)では判然としない。
しかし、物語の制作者がテーマをどう設定するか、そして視聴者はテーマをどう理解するのかが『全修。』のモチーフになっているように思えてきた。それに関する考察について。
物語のテーマについて
物語の創作にはテーマが必要だ。その物語で何を表現したいのか、伝えたい価値観は何かなど、制作者が自分の想いを込めたものがテーマだ。
例えば、シナリオ・センター式の考え方では、物語のテーマは次のようであるべきとされている。
物語のテーマは1つであること
テーマは無言で伝えるべきで、作中で直接的に訴えてはダメなこと
起承転結の「転」でテーマを表現すること
これらを前提に、物語の創作時に「創作の地図」と呼ぶフレームワークを用いて、物語のテーマ、モチーフ、時代設定、場所、登場人物などを初期検討する方法を推奨している(あくまで、創作の初心者向けのフレームワークだとは思うけど)
例えば昨年放映された『ガールズバンドクライ』を「創作の地図」に当てはめると次のようになると私は解釈している。
テーマ:「仲間との絆は大切だ」
モチーフ:上京する女の子がバンドをする話、地に足のついた内容
天:現代
地:日本・川崎
人:
九州から上京した女の子:仁菜
北海道から上京して音楽活動中の女性:桃香
川崎の多国籍性を象徴する人物:ルパ
ここで『全修。』の背景にある論点が浮上してくる。例えば、シナリオ・センター式の考え方にそって物語を創作した場合、テーマを直接的に訴求しないため、それが視聴者に伝わるか否かは視聴者の理解に委ねられることになる。
もし、制作者が設定したテーマと視聴者が理解したテーマがズレているとき、正しいのはどちらだろう。やはり制作者の設定だろうか、それとも視聴者の理解の方だろうか。
5人の主人公
『全修。』のOP映像に主人公・ナツ子が5人登場する意味深なシーンがある。しかも、彼女たちが見ている映画『滅びゆく物語』を写しているのは、この物語の制作者・鶴山亀太郎が転生した(もしくは、制作者自身をモデルにした)と思われるキャラだ。
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ナツ子は9歳のときに『滅びゆく物語』と出会ってどハマリしたが、第1話のナツ子自身の発言によれば、「何度みても訳わかんない」内容だったようだ。
制作者・鶴山が物語に込めたテーマは少なくとも小学生のナツ子には伝わらなかったのだ。では、その後のナツ子はどうなのだろう?
OP映像は現在のナツ子を中心に左右交互に、就職してプロになったナツ子、高校生のナツ子、中学生のナツ子、小学生のナツ子が並んでいるようだ。
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『全修。』第2話で描かれたシーンでは『滅びゆく物語』に夢中になった小学生のナツ子が友達と熱心にこの映画について話していた。
ところが、ナツ子はあんな性格に成長したところから推測すると、中学、高校と進むに連れて友達が少なくなり、周囲に理解者がいない状況になっていったのではないだろうか?
物事の思索を深めるには他人の意見を参考にすると効果的な場合がある。しかし、次第に友達が少なくなっていったナツ子は他人との意見交換を通じて『滅びゆく物語』の理解を深めていくことができなかったのかもしれない。であるならば、現在のナツ子の『滅びゆく物語』についての解釈は小学生時点からアップデートできていない。
本来であれば、作品に初めて接した小学生から成長し、中学生なりの作品解釈があり、その後は高校生としての解釈、さらに社会人として、経験を積んだクリエイターとして、次々に解釈を発展させて、物語の内容やそこで描かれたテーマに関する新しい気づきを得ることが望まれるはずだった。
しかし、こうした思索を深めることなくクリエイターとして一時的な成功をつかんで現在にいたり、『滅びゆく物語』の世界に転生してしまったことがナツ子の大きな弱点になる可能性がある。
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鶴山 VS ナツ子
物語の創作時には様々なストーリー展開が検討される。それらは全て物語のテーマを表現するために積み上げていくものだ。
『滅びゆく物語』を作った鶴山はその過程を何度も何通りも思索し続け、作品に込めたテーマを表現するにふさわしいストーリー展開を作った。
一方のナツ子は劇場公開された唯一のストーリー展開しか知らない。しかも、物語の理解が浅い。
『全修。』ではこの先、仲間たちの悲劇を避けるためにナツ子が能力を発動して物語世界の行く末を変えようとするが、それを鶴山が阻止する展開になると予想される。
公式トレーラーで点描された「何をやってもムダだよ」という謎のセリフは物語世界に転生した鶴山が発したと推測されるが、その意図は、
ナツ子が提示したストーリー展開は、私も検討したがボツにした
ナツ子の考えるストーリー展開では、私の考えるテーマは描けない
という制作者ならではの自信の裏付けなのかもしれない。
物語世界に干渉する能力を思うように活かせず、望まぬ結末に向かって進んでしまう状況に絶望するナツ子。そんな彼女に追い打ちをかける「全修!」のセリフを浴びせるのは例のしゃべるタップだろうか? それとも鶴山か? それとも、、、、
この先の展開が気になって今日も眠れない。
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