『ガールズバンドクライ』ロックかどうかはそれほど重要か
私自身、泥沼のごとくハマった本作だが、世間は「これぞロックだ!」とか、「こんなのロックじゃない」とか、「ロック、視聴者の琴線に触れすぎぃ~!」という感想が渦巻いていることに違和感があった。
あらためて、関係者がこの物語で描こうとしたテーマは何だったのか振り返ってみたい。
物語の導入部の重要性
物語の構成には守るべきいくつもの基本原則がある。以前、『リコリス・リコイル』の冒頭部分がこれらを忠実に踏襲した内容になっていることを紹介した。
もちろん、これらの原則は主に映画が対象で、シリーズ物のアニメにすべてが当てはまるわけではないと思うが、物語を解釈する1つの切り口として参考になる点は少なくないと考えている。
参考文献(末尾のリンク先をご参照)によると、物語の冒頭部分は下記の構成とし、2時間の映画の場合、これらを開始10分から長くて15分で完了させる必要があるとされている。
(括弧内の数値は脚本のページ数で、2時間映画の場合は開始からの上映時間(分)とほぼ同じになる)
オープニングイメージ(1)
作品のスタイル、雰囲気、ジャンル、スケールを表現する箇所。また、主人公の出発点を示す場。視聴者にこれから物語を共にする主人公の「使用前」の状態を見せる。テーマの提示(5)
物語が何をテーマに展開していくのかを表現する箇所。作品の製作者の主張や論点が込められており、登場人物の誰かがテーマに関連した発言をする演出がよく用いられる。セットアップ(10)
物語の主人公の目的を示し、主要な登場人物を(できれば漏れなく)紹介する箇所。また、「使用前」の主人公に必要なものが欠けている場合は、ここでそれを見せる演出が必要になる。
以上の通り、とても多岐にわたる内容を限られた時間で表現する必要がある。制作者(主に脚本家)の腕が問われる箇所だ。そして、視聴者を作品にのめり込ませることが出来るか否か、この部分の出来映えが左右する。
『ガルクラ』にあてはめると
『ガールズバンドクライ』の第1話が上記構成になっていると仮定して、そこに描かれた内容を追ってみると、
オープニングイメージ
終点の東京駅に到着した新幹線、座席で1人の少女が音楽を聴きながら寝ている。
夢の中で楽しそうにジャンプする少女。宇宙空間のような場所。誰もいない。額には怪我を処置した後がある。
開始1分で表現できているのはせいぜいここまでだが、もう少し先(OP曲の直前)まで含めると、
乗り過ごしてしまった。戻りたいが、慣れない場所でどちらに向かえばよいかわからない。
少女のナレーション「負けたくないから、間違ってないから」
スマホのバッテリーが切れる。
となる。
表現されているイメージは明確で、「少女が1人で上京し、見知らぬ土地で新しい生活を始めようとしている。頼れる人がいない様子で、先行きが不安」だ。
テーマの提示
オープニングイメージから引き続き、見知らぬ土地に1人で来たことによる困難に少女は見舞われる。
約束の時間から大幅に遅れ、不動産屋で鍵を受け取れない。
スマホが使えない。通行人に道を聞こうとするが無視される。
犬に吠えられる。見知らぬ人から罵声をあびる。
予定していた部屋の前に着くが鍵がないので入れない。
隣部屋の住人が助け舟を出すが、少女は拒否する。
少女は孤独で、誰からも受け入れてもらえない様子が繰り返し描かれている。唯一、隣人が助力を申し出るが、それを素直に受けることができない。これが「使用前」の状態だ。
孤独を解消するには見知らぬ人であっても周囲の人たちとうまく付き合っていく必要があるが、今の少女にはそれができない。物語を通じて克服すべき課題がここに提示されている。
セットアップ
喫茶店でスマホを充電する。家族と電話がつながる。
家族との仲が良くない様子が描かれる。少女からトゲトゲが出る。
父親らしき声が「うるさか、ほっとけ」と突き放すように言う。
好きだったバンドメンバーのSNS投稿に気づく。
となり、その後、推しの路上ライブを聴き、場所争いのトラブルから一緒に逃げ、二人で牛丼屋へ行く流れとなる。ここまで約10分だ(OP曲の時間を除く)
以上のとおり、セットアップまでに少女が抱える課題や欠点として以下の内容が示されたと私は解釈している。
見知らぬ土地で1人きり。頼れる人がいない。
知らない人と適当な距離感で人間関係を気づくのがとても苦手。
家族との関係が悪い。
「中指=ありがとう」と信じてしまうような常識知らずの世間知らず。
さて、私たちは『ガールズバンドクライ』の物語を見終えて既に理解しているが、これは主人公・仁菜の成長の物語だった。バンド活動を通じて信頼できる仲間を得た彼女が、仲間に支えられて信念を貫き通す姿が描かれた。
つまり、
仁菜の生きざまはロックだ、とか
それが終盤ではロックじゃなくなった、とか
トゲトゲの曲はロックだ、とか
対バンで披露した新曲はロックじゃなかった、とか
そんなことはこの物語のテーマとは関係ないのだ。(あくまでも、上述した構成で物語のテーマが提示されている仮定の下でだが)
ファイナルイメージとの対比
物語はファイナルイメージで締めくくられる。これはオープニングイメージと対になるもので、物語を通じた変化が示される。当然ながら、最終話のライブシーンがそれにあたるのだが、少しさかのぼって再確認すると、
上京(実は川崎)時は1人きりで、誰も頼れる人がいない仁菜だったが、今は信頼できる仲間に囲まれている。
それは、神社でのルパのセリフ「結論、出ましたね」にある通り、仁菜の「私は間違ってない」を真に理解してくれた仲間たちである。
東京の端っこだと思ってやって来た川崎は、桃香が「おじさんと不動産屋にだまされたんだよ」という見知らぬ地域だったが、それが「私、この町が好きです」に変わっている。
という具合だ。(家族との関係改善は第11話のライブシーンで描かれたので、ここには出てこない)
細かく探せば他にもあるだろう。この物語の第1話のオープニングからセットアップで示された「使用前」の状態からの変化が、この最終話で明確に示されている。そして繰り返しになるが、そこには仁菜の生き方が、そしてトゲナシトゲアリの曲が、ロックかどうかは無関係だ。(無関係なだけで、ロックでないというつもりはない)
本作で描かれたバンド活動は物語を展開する駆動装置としては重要な要素だったが、物語のテーマはそこではない。なので、「何がロックで、何がロックでないか」といった不毛な定義にとらわれて本作の評価を上げ下げするのはやめて、もっと純粋にこの物語の本質を楽しんでくれる人が増えることを願ってやまない。
余談:
かくいう私も最終話のライブシーンで「運命の華」を聴いたときは
「え? こんな曲かよ、、、これまでと全然違うじゃん!」
と評価はイマイチだったが、今ではトゲトゲの曲でこれが一番好きだ。いわゆる「スルメ曲」で聴けば聴くほど趣を増してくる。とても良い曲だと思う。アルバムも予約した。
参考情報
本ブログで使用している物語のジャンル名(「金の羊毛」「バディとの友情」など)は下記エントリーで紹介しているので、興味があればご参照ください。
https://note.com/momokaramomota/n/n59516100fd93