見出し画像

『SHIROBAKO』に見るアニメ制作の問題点

アニメ制作の現場をコミカルに描いた『SHIROBAKO』、私が好きな作品の1つで、先日TVシリーズと劇場版を通して5周目くらいを見終えた。
劇場版のラストは何とも言えぬ寂しさを感じてしまうのだが、その理由を考えつつ、言い尽くされたことだと思うが、現在の日本でのアニメ制作に関わる問題点を考えてみたい。


アニメ制作に関わる人々

先日、一般社団法人日本動画協会の発表(『日本でアニメーション制作を行うクリエイターの労働等に関する現状報告』)の中に、日本のアニメ制作に関わる人々の推定人数と内訳が書いてあった。
私はこの手の情報に接したのが初めてで興味を持ったので、簡単に紹介したい。

https://aja.gr.jp/wp-content/uploads/2024/12/8cdd91040d7677b62bdd196d420400bd.pdf

私はアニメ制作は全くの素人のため、『SHIROBAKO』で得た知識しかないが、アニメ制作現場では高度な分業化が進んでいる。
『SHIROBAKO』の登場人物で主な職種を紹介すると、

制作進行:約2000人
動画:約3000人
原画:約1000人
監督:約400人
シナリオ:約600人

(画像はいずれも『SHIROBAKO』公式サイトより)

などだ。(声優はここに含まれてない)

『SHIROBAKO』でも描かれたように、1人の人材が2役3役をこなすことはあるようだが、主な職種とそれに従事する人数は上記の状況で、私の理解ではアニメ業界の人材不足として話題になる対象は動画担当だと思う。

動画は上記表中で最大の3000人が従事している。物量をこなすことが求められる業務のため、これでも不足しているのだろう。ちなみに、「クリエイター」と呼ばれながら最も底辺に位置しているのが動画担当だ。

同じく物量を求められる色彩仕上(動画に指定されたとおりの色を付ける業務)の人数が多い(約2000人)のはわかるが、興味深いのは制作進行が同等人数いることだ。
上述の通り、アニメ制作の現場は高度な分業化が進んでいるため、制作工程間で多種多様な調整業務が必要になる。『SHIROBAKO』で主人公の宮森あおいが奔走しているように、分業化が進んだ反動で必ずしもクリエイティブとは呼べないこうした業務が発生しているわけだ。

アニメ制作の市場規模

アニメ製作、およびアニメ制作に関わる業界構造はどのようになっているのか? 少し見にくいが雑誌から引用すると下図のとおりだ。

『週刊東洋経済』2023年5月17日号
「アニメ熱狂のカラクリ」より

アニメ制作の現場は上図左下の「労働者の世界」で、これとは別にアニメ製作に関わる「資本家の世界」がある。
(アニメにおいて「製作」と「制作」が異なる概念であることは、みなさんご存じと思う)

この構造を前提に、日本のアニメ産業の市場規模を見ると、

  • アニメ製作に関わるアニメ産業全体の市場規模は約3兆円

  • そのうち、アニメ制作に回されるのは約3400億円

という状況だ。
(出典:https://www.tdb.co.jp/report/industry/j4_7almgnr8w/  など)

この数値を見てピンとくると思うが、アニメ制作の市場規模(約3400億円)に対して、それに関わる人数(日本動画協会の表では約18000人)が多すぎるのだ。

アニメ制作に関わる様々な職種とそれに従事する人々を、企業グループとして考えるとわかりやすいかもしれない。
従業員数18000人前後の企業グループ例を挙げると、

ソフトバンク(IT系)
 従業員数:19045人
 売上高:3兆2263億円

JR東海(旅客運輸)
 従業員数:18727人
 売上高:1兆1433億円

スバル(自動車)
 従業員数:17228人
 売上高:2兆1741億円

https://nenshu-master.com/rankings/employees-ranking/  より

上記企業グループと比較してわかるように、売上高3400億円の会社で18000人が働いていれば個々人の取り分(=給料)が少ないのは当たり前だ。アニメ制作に関わるクリエイターの待遇が悪いとしばしば非難されるが、現状の市場動向ではどうしようもない面がある。

問題はどこにあるのか?

で、問題はどこにあるのだろう? 言っても仕方ないが、やはり考えていくと製作委員会方式という資本家と労働者を分断して、コンテンツに関わる権利を資本家が総取りする仕組みが諸悪の根源だと個人的には思う。この仕組みを考え出したやつはワルだね。

この製作委員会方式が日本のアニメ産業を駆動しているわけだが、その駆動原理の中でも悪しき慣習がいくつもあると感じており、私の理解では「自転車操業」「多産多死」「やりがい搾取」がキーワードになる。

これは下記エントリーで少し触れた通りで、ラノベを原作とする低品質アニメの乱造に大きな原因があると考えている。もう少し深堀できたら、別エントリーとして書いてみたい。

さて、『SHIROBAKO』に話題を戻すと、主人公・宮森あおいは劇場版でも様々なドタバタを乗り越えて無事に作品上映にこぎつけた。
それはそれでハッピーなのだが、彼女のアニメ制作に関わる人生は続いていく。その業界人生は「労働者の世界」で搾取される側での苦闘の日々の連続であり、日本のアニメ業界構造が根本的に変わらない限りは逃れることができない宿痾のようなものだ。

もちろん、MAPPAのようにコンテンツの権利を確保するための努力を始めている制作スタジオも登場しつつあるが、それが日本のアニメ業界全体にいきわたり、現場担当者たちの業務環境や待遇が改善するのはまだ遠い先のことだろう。

彼女の物語に真のハッピーエンドは当分訪れそうにない。それを考えると、私はどうしようもなく劇場版のラストシーンを寂しく感じてしまうのだ。

劇場版『SHIROBAKO』のラストシーンより


この記事が参加している募集