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『全修。』:『滅びゆく物語』はどんなストーリーだったのか?
今シーズン(2025年冬アニメ)は私の関心を全部『全修。』に持っていかれている。本作の今後の展開を考えたとき、舞台となる『滅びゆく物語』の元来の内容が行く末を大きく左右しそうだ。
制作者・鶴山亀太郎は『滅びゆく物語』を通じて何を伝えたかったのか? それを物語でどう表現したのか想像してみたい。
(これまでに放映された『全修。』のネタバレを含みます)
※前回の内容はこちら
『滅びゆく物語』についてわかっていること
『全修。』第4話以降も追加の情報が続々登場すると見込まれるが、映画『滅びゆく物語』の世界設定はバオババさまの発言が原点となる。
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また、作中のナツ子(小学生時代)の説明では、
『滅びゆく物語』の世界には9つの国がある
それぞれの国に太陽のように輝くソウルフューチャーがある
ソウルフューチャーのおかげで毎日楽しく暮らすことができる
突然ヴォイドがやってきてソウルフューチャーを食べた
9つのソウルフューチャーを全部食べられると世界を終わりにする超空洞ヴォイドが誕生する
超空洞ヴォイドが生まれないために最強の戦士「ナインソルジャー」を集めた
ナインソルジャーが世界を救おうと戦うんだけど、ルークがね、ルーク、、、ルーク!!!
また、『全修。』公式サイトの情報を参考に、推測も含みながら『滅びゆく物語』の世界での時系列を映画の主人公・ルークを中心に列挙すると、
ルーク誕生、生まれたときから「伝説の勇者」として育てられる
ユニオ誕生、ルークの守護獣となる
ルーク、戦いの日々で成長していく
ヴォイド襲来が本格化する
いくつもの国のソウルフューチャーがヴォイドに食べられる
ルークの両親が死亡(このあたりの詳細は不明)
ルークとユニオ、最後の街にたどり着く
--- 映画『滅びゆく物語』はこのあたりからスタートか?
最後の街にヴォイド襲来(1回目)&撃退
最後の街にヴォイド襲来(2回目?)&撃退
(現在の展開ではナツ子を救ったのがこのとき)
最後の街に陸のヴォイドの大群が襲来
戦いの中、ユニオが自爆魔法を使って死亡
最後の街に空のヴォイドの大群が襲来
住民が多数犠牲となり、農作物が大被害を受ける
ユニオと住民の合同葬式を実施
ルークとデステニーが出会う
最後の街にヴォイド(おそらく単体)が侵入
デステニーがヴォイドに襲われるがルークが撃退
ルークとデステニーが恋に落ちる
最後の街にヴォイドの大群(?)が襲来
デステニー、死亡
メメルンがルークを殺そうとする
(第4話のあらすじで本設定が公開された)
(詳細不明)
最後の街に司祭に擬態したヴォイドが侵入
(詳細不明)
ルークの活躍で超空洞ヴォイドの誕生を阻止か(?)
ーーー 映画『滅びゆく物語』の終わり
この映画に関する情報開示が限定的なので、全容は不明だが「最後の街」は文字通りにこの世界で最後の街らしい。にしては、住人達の危機感が薄い。9つあった国も残り1つということだと思うが、世界滅亡に対する悲壮感もない。
それがナインソルジャーへの信頼からなのか、単にそこまで描いてないだけないのか。映画本来の展開と、ナツ子が入り込んだ世界がズレてきているからなのか。
現実世界での『滅びゆく物語』の評価
ナツ子の発言から、現実世界で公開された『滅びゆく物語』の評価については、
鬱々しい展開
「見るとメンタルやられる、絶望する」という悪評広まる
興行的に大コケ
駄作の評価が固まる
(小学生のナツ子にとっては)「何度みても訳わかんない」内容だった
「でも、そこがいいんだよな」
となっている。
映画はクリエイターが制作する芸術品の側面はあるものの、ビジネスの側面の方が強いため「興行的に大コケ」では駄作の評価は免れないだろう。
映画の主人公・ルークはどうなったのか
ここから先は全くの想像、というより妄想に近いが映画『滅びゆく物語』の主人公・ルークは「ネガティブな変化のアーク」で描かれたのではないだろうか。
主人公のアークについては下記エントリーを参照いただきたいが、『リコリコ』の錦木千束は「フラットな変化のアーク」、『ガルパン』の西住みほ「ポジティブな変化のアーク」で描かれていると私は解釈している。
これらに対して「ネガティブな変化のアーク」には「失望のアーク/転落のアーク/腐敗のアーク」3つのバリエーションがあると参考図書(『キャラクターからつくる物語創作再入門』K・M・ワイランド著(フィルムアート社))に書いてある。
さらに妄想を全開にすると、ルークは「転落のアーク」で描かれた気がする。このアークの主人公は物語の中で次のような変化を遂げるとされている。
転落のアーク
主人公は当初、間違った考えや価値観に取りつかれている
そんな間違った考えや価値観に固執する
本来は受け入れるべき真実を拒絶する
間違った考えや価値観を一層信じるようになる
さらに悪化した考えや価値観を持つようになる
ルークにとって間違った考えにあたるのが「伝説の勇者」だ。ユニオの発言にあったように、ルークは生まれたときから伝説の勇者として育てられた。本人もそれを自覚している。
「俺こそが世界を救う伝説の勇者」
可哀想だがルークにとってこの考えが間違いなのだ。
ヴォイドの襲来が本格化し、多くの国のソウルフューチャーが失われた。そんな中、ルークの両親も死亡している。ルークは何をしていたのだろう?
もちろん、ヴォイドに対抗して戦ったに違いない。しかし、力及ばず、祖国は失われてしまった。
「俺は本当に伝説の勇者なのか」
疑問がルークの頭をよぎる。しかし、ルークは俺こそが伝説の勇者だと強く信じる。
ユニオと共に最後の街に来たルーク。何度かの戦いではヴォイドを撃退できた。しかし、陸のヴォイドの大群との戦いで幼馴染のユニオを失う。
「俺は本当に伝説の勇者なのか。親友を守れずに何が勇者か、、、」
ルークは苦悩する。
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できるなら、ルークは伝説の勇者という肩書に固執せず、別の戦い方、もしくは戦い以外の道を模索すべきだったのかもしれない。もっと早い段階であればそうした選択肢もあっただろう。
だが、ここは最後の街だ。ルークは戦い続けるしかない。
俺は伝説の勇者だ! 伝説の勇者の俺が超空洞ヴォイドの誕生を阻止し、世界を救うのだ!!
そんな戦いの果てにデステニーや多くの仲間たちを失い、それでも戦い続けるルーク。そして、最終的に世界は救われ、多くの人々が生き残ることができた。
俺は証明した! そうだ、俺が、俺こそが伝説の勇者なのだ!
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しかし、ルークの身近にいた親しい人たち、愛する人々、ナインソルジャーの仲間たちは戦いの中ですべて失われてしまった。こうして映画『滅びゆく物語』は幕を閉じる。
この物語で伝えたかったメッセージは何か
さて、妄想爆走で『滅びゆく物語』のストーリーを想像してみたが、制作者・鶴山亀太郎は何を伝えたかったのだろう?
世の中、バッドエンドの物語が作られることも往々にしてあるが、それが人生の真実を伝えているのではあれば、見る人の心を打つ可能性はある。
「そうだ、人生うまくいくことばかりじゃない」
努力が報われるとは限らない。悲惨な目に合うことがあるのも人生だ。
しかし、崇高な使命を背負った人間なら、過酷な運命を乗り越えて生き抜き、戦い抜き、力を尽くして使命を果たす責務がある。
大義を重んじ、個人の願望を犠牲にしてなお使命を果たした人物は賞賛に値する。
そんなメッセージを込めた作品が『滅びゆく物語』だったのかもしれない。
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