ラノベ原作アニメに期待していいこと、ダメなこと(その2)
毎シーズン大量に放映されるアニメ作品から何を見るべきか、自分に合う作品はどれなのかを見極めたいと思い、いろいろと考えて要点はラノベ原作アニメとの付き合い方だと思い至った。
その結論部分をまず「その1」で紹介した。今回はその続きで、徐々に各論を詳しく説明していきたい。
(内容は私個人の意見であり、タイトル画像の書籍とは無関係です)
※前回のエントリーはこちら
求めている作品
そもそも私はどんな作品を求めているのか? ここを明確にしないと何を見るべきか、何は見送るべきか判別できない。
曖昧な表現だが、私が求めているのは「素晴らしい物語」だ。作品で重視する点、重視しない点は下記エントリーで紹介したのでここでは記載を省略する。
上記エントリーでは十分に説明できてない重要な観点に「シチュエーション」ではなく「ストーリー」がしっかり描かれていることが挙げられる。
物語創作での「シチュエーション」はあまり馴染みのない概念で、私も下記に引用した参考図書以外では目にしたことがない。
世間一般には普及してない用語だと思うが概念自体は有用で、私にとっては自分の求める物語とそうでないものを区別する基準になると考えている。
「シチュエーション」とは
「シチュエーション」と「ストーリー」の違い
参考図書で説明されている定義はほぼ以上だが、これで「ストーリー」と「シチュエーション」の違いのイメージをつかめただろうか。
ちなみに、「ストーリー」ではなく「シチュエーション」の組み合わせで成り立っている作品の代表例は『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』だそうだ。
『レイダース』は撮影中から「B級映画」と評されていたと書かれているが、映画としては名作だ。それは作品が目指す方向性が「ストーリー」を描く映画とは違うからであって、「ストーリー」が描かれているかどうかと作品の完成度は無関係ということだ。
しかし、繰り返しになるが私自身が求めるのは「ストーリー」であり「シチュエーション」ではない。
ラノベとは何か?
以上を前提にして、次に考えるのは「ラノベとは何か」で、これは大変難しい質問だ。これまたいくつかの参考図書を読んだところ「ラノベ」について決まった定義はないらしい。ただし、次のように考えることは可能だと思う。
例えば、国内で発表される多種多様な小説の中に芥川賞の候補になる作品/受賞する作品がある。また、直木賞の候補になる作品/受賞する作品もある。
これら二つの作品群を比較したとき、どちらがエンタメ色が強いかと問われれば、それは当然直木賞の方だ。
この作品傾向の違い=エンタメ方面へのシフトをもう4~5段階、いや10段階ほど進めた先にあるのがラノベと言えるのではないだろうか。
そうした作品群であるラノベの特徴は、
主に10代~20代の若者向け。特に男子向けから発展したが、最近では女子向けも充実しつつあるらしい。よー知らんけど
「ライト」である。つまり手軽に読める内容=わかりやすい語彙が中心の文章で成り立ち、特に登場人物のセリフが多い
読者自身の願望を主人公に投影することを強く意識して書かれている
(「俺つえー!」とか「わたし愛されてる!」とか)類型的なパターンのエピソードをうまく流用して、読む人に安心感を与える
(読者の予定調和の範囲内で話が展開していく)近年では特にネットの小説投稿サイト発祥の作品が主流を占める
とされているようだ。
こうしたラノベはどんな作品構成が多くなるのか? 私にとって関心が高い項目を中心に想像すると、
物語の終わりが決まってないことが多く(なぜなら、連載をできる長く続けたいから、もしくは単に終わりをイメージできてないから)、物語での登場人物の成長過程を設計しにくく、描きにくい
(結果として、作品中で登場人物の成長が描かれてない可能性が高い)十分な設計をしないまま、登場人物の成長を描き始めると留まることを知らず、作品全体の破綻につながる
(「ドラゴンボール症候群」とでも言うのかな? 知らんけど)上記の特徴のため、やむを得ず、もしくは意図せず「シチュエーション」で作品内容を構成することが多くなる
要するに、作中で描かれるのは登場人物の本質ではなく、問題解決能力になる
のではないだろうか。少し先入観による曲解が混ざっているかもしれない。
また、ラノベも一応小説であり、作品の長さに関する自由度が高いため、作品構成は各種設定やストーリー展開を事前に細かく決めずに書くケースが多いようだ。いわゆる、
「キャラが勝手に動き出す」
「この先の展開はキャラ自身が決める」
といったやつだ。
参考図書として『このライトノベルがすごい!』数年分から、掲載されたラノベ作家のインタビュー記事を読んだところ、下記作品の作者が上述したの「キャラが決める」パターンに当てはまる執筆方法を採っている(もしくは、採ることがある)と述べていた。
例)『本好きの下克上』、『錆喰いビスコ』、『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』、『86-エイティシックス-』、『千歳くんはラムネ瓶のなか』
膨大なラノベ作品からのごく一部の例ではあるが、著名な作品ばかりだし、ラノベ一般の傾向として「キャラが決める」方式で執筆される作品が多いと考えてよいと思う。
ラノベをアニメ化すると何が起きるか
ここまで、いくつかの仮説・仮定の下にラノベの特徴を説明してきた。これらを踏まえ、ラノベを原作としてシーズン物のアニメを制作するとどんなことが起きると予想されるだろうか。
候補として挙がるのは、
物語の展開が1クールの長さにうまくハマらない
1クールの長さに当てはめるために原作エピソードの一部を削るか、簡略化した結果、話の前後のつながりが分かりにくくなる
同じく、原作を省略/簡略化することで、登場キャラの行動理由が視聴者に伝わりにくくなる
以上の要因が積み重なって、1クールに相当する範囲では登場人物の成長を描けない
(というか、そもそも原作でそうした内容が描かれてない可能性も高い)
などがあると思う。
これらはすべて1クールのアニメ作品の完成度を損なうものだし、仮にそうして出来上がったアニメ作品は、ほぼ確実に私の好みに合致しないと予想される。だから、私はラノベ原作のアニメは今後見るのを止めようと決意したわけだ。
一方で、ラノベをアニメ化するにあたって上述した課題があるのは関係者の誰もが認識していることだろうし、「それを何とかするのがシリーズ構成や脚本担当の仕事だろ?」という意見があると思う。私もそう思う。
しかし、それが簡単にはいかない事情もあると思う。それは、現在のアニメ業界のビジネスモデルに起因しているように感じる。
私は単なる視聴者であり、アニメ製作については全くの門外漢だが、現在のアニメ業界には非常に良くない慣習が蔓延していることが危惧される。
あくまでも私の推測だが、かなり大胆な仮説になるので、別途機会を設けてその仮説について見解を述べてみたい。
ともかく、まもなくスタートする2025年冬アニメではラノベ原作アニメは一切見ない方針だ。今季(2024年秋アニメ)と同様に、オリジナルアニメ作品に注目して視聴していこうと考えている。