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『リコリス・リコイル』は物語の基本原則にどこまで忠実か

何度も引用している『SAVE THE CATの法則』をはじめとして、人間が本能的に好む物語にはいくつもの基本原則があると様々な書籍が主張している。そこで今回は『リコリス・リコイル』を題材に、本作がそれらの基本原則にどれほど沿っているのか、そして各原則に沿いながらも、どんなオリジナリティを持たせているのか考えるきっかけを提供したい。


物語の基本構成

前回のエントリーでも述べた通り、『リコリス・リコイル』は次の3つのストーリーラインで構成されていると私は解釈している。

  • Aストーリー
    千束を主人公とする「スーパーヒーロー」の物語

  • Bストーリー
    千束とたきなの「バディとの友情」の物語

  • Cストーリー
    DA(Direct Attack)を舞台とする「組織の中で」の物語

物語の序盤から中盤はBストーリー(バディとの友情)の比重が大きいが、中盤から終盤にかけて一気にAストーリー(スーパーヒーロー)を中心に展開していくのが特徴だ。

千束をはじめとする主要キャラは物語の典型的人物がベースになっているとみることができるが、こちらは以前『葬送のフリーレン』の例で述べたように、その典型にひねりやギャップを加えることでオリジナリティを出している。

『リコリコ』のメインキャラを各典型にあてはめると次のようになるだろう。

  • 千束:「かわいい隣の女の子」タイプ、その正体は殺し屋

  • たきな:「セクシーな女神」タイプ、その正体は殺し屋

  • ミカ:「賢き長老」タイプ、その正体は殺し屋のボス

  • ミズキ:「ちょっと訳ありセクシー美女」タイプ、その正体は殺し屋組織の情報部員

  • クルミ:「賢いやんちゃ坊主」タイプの女性版、その正体は世界最高のスーパーハカー

どれもこれも凄いギャップだw
ちなみに、私が見るところでは「バディとの友情」物語を かわいい隣の女の子タイプ+セクシーな女神タイプ で構成するのは、日本のアニメ作品では定番中の定番だ。この部分に限って評価するなら、本作のオリジナリティは弱い。

物語の導入部について

『リコリス・リコイル』はアニメオリジナル作品なので、作品の世界観を視聴者に伝える導入部が特に重要だ。『SAVE THE CATの法則』で説明されている物語構成をあてはめると、

  • オープニングイメージ:
    作品のスタイル、雰囲気、ジャンル、スケールを表現する箇所。
    『リコリコ』では、折れたスカイツリー(旧電波塔)、元気な女の子のキャラとその声によるナレーション、電話(男の渋い声)による指令のあたりまでが該当するだろう。

旧電波塔(アニメシーズン1より)
  • テーマの提示:
    この物語は何をテーマに展開していくのかを表現する箇所。
    ここは見解が分かれるところだと思うが、最初のトラブル現場で、
    ・組織の指令に従順な隊員と
    ・指令無視で臨機応変に行動する隊員
    の軋轢を描き、結果的に指令を無視した隊員が左遷される部分がテーマの提示にあたると私は解釈している。

    つまり、テーマに関してはジャンル「組織の中で」が強く表現されているのだが、左遷された先で待つのが組織の指令から自由にふるまう主人公であるところが肝だと思う。

  • セットアップ:
    物語の主人公やテーマ、目的を示し、主要な登場人物を紹介する箇所。
    本作では左遷先(喫茶リコリコ)に赴任したたきなが主人公・千束に会い、新たに行動を開始するところまでが該当すると思う。
    ここまでにアイコン(ウォールナット)で登場するクルミも含めて主要キャラ+サブキャラが漏れなく(敵役を除く)登場するのに加えて、店内のテレビ放送でアラン機関の説明も行われている。

    またこのセットアップでは、登場キャラの特徴や、後に起きる問題の原因となる行動も提示される。本作では、
    ・千束がたきなを「よろしく、相棒!」と呼ぶ一連の会話
    ・(指令無視を理由に)たきなを殴った相手(フキ)に千束が電話で文句を言うところ
    が該当する。
    これは本作のBストーリー「バディとの友情」、Cストーリー「組織の中で」に密接に関わる内容だ。
    この物語を最後まで見たわれわれは知っているが、仲間(バディ)の大切さと組織指令を盲従することの是非は、繰り返し問われる本作のテーマだ。

さて、以上が「セットアップ」なのだが、『SAVE THE CATの法則』の主張では、映画の場合、これらを冒頭10分間で完了させる必要があるというのだが、『リコリコ』では何と!開始4分でこれが完了している!

「よろしく、相棒」
(アニメシーズン1・第1話より)

『リコリコ』の導入部の表現はストーリーテリングの基本原則をきわめて忠実に守った形になっているが、以前も述べた通り、4分という短時間にしては余りにもてんこ盛りすぎだったのではないかと思う。(初見で全部理解できた人いますか?)

スーパーヒーローの戦い

本作の終盤は主人公・千束が悪役と戦うスーパーヒーローの物語が中心になる。ストーリーテリングの基本原則によると、

  • 主人公(善)と敵(悪)はほぼ互角の能力を持つ

  • 両者の勝敗を分けるのは「信じる心」である

  • つまり、主人公は自分も仲間も信じているが、敵は自分しか信じない

  • 敵は結局1人て戦わざるを得ず、主人公に敗れ去る運命にある

もうお分かりだろう。千束はたきなを信じていた。まさにバディとの友情だ。その信じる心が勝利につながったのだ。

信じる心
(アニメシーズン1・第11話より)

以上みてきた通り、『リコリス・リコイル』はストーリーテリングの基本原則をごく忠実に踏襲して作品を表現している。
それが覇権アニメと評されるほどの人気を博したのは、単なる原則をなぞるだけではないオリジナリティが各所に込められていたからだろう。
上記の内容を参考にしつつ、そのオリジナリティがどこにあったのか、それが本作の魅力にどうつながっているのか、ぜひみなさんも考えてみてほしい。


※続きはこちら


参考情報

本ブログで使用している物語のジャンル名(「金の羊毛」「バディとの友情」など)は下記エントリーで紹介しているので、興味があればご参照ください。

https://note.com/momokaramomota/n/n59516100fd93


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