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犬は私を育て、猫は私を鍛える。
犬との散歩のあとに、散歩と同じくらい楽しみな犬の足ふきをしっかりとしていて、ふと犬の内面に繋がってしまった気がしたことがあった。
「ダンスダンスダンス」のドルフィンホテルの羊男のフロアのような、豆電球ひとつ分の光量しかないその犬の内面の暗さに、言葉を失った。
日頃の明るい表情やほかの犬との協調性からかけ離れた内側に触れ、前脚を握ったまま固まったが、考えてみたら私には生き物の内面を見透かすような霊媒師的感応力はそもそもない。
鬱々としていた私の心の風景を、握った犬の手から伝わったものかのように混濁したのだと思うが。
視えた気になった景色の寂しさに耐え切れず、犬の迷惑をよそにその頭を抱くナルシスティックな私を。
振り返ると猫が見ていた。
猫は安っぽいセンチメンタルは許さじ。
私から目を逸らさず、こわいこわい顔で、ゆっくりと大あくびをして見せた。
切り損ねていた長い爪を存分に剥きだして、クラインの壺のようなカタチで伸びをした。
犬は主観に誘うが、猫は客観に帰してくれる。
犬は童話を聞かせてくれるが、猫は家計簿を読み上げてくれる。
犬の眼に引き込まれ、猫の眼に正気づく生活に、私は深々としかし手短に、その日も感謝したのだった。