”The power of words” 「わたしにとってそんな悪口は、タダの言葉だ!」
誹謗中傷への罰則が制度化されそうで、それはいい事だと思う。
半面で「ヘイトだ、人権蹂躙だ」と声高に叫ぶヘイトスピーカーの自演が、かまびすしい事になりそうで嫌な気もするが、匿名者の粘着度や言い逃げが抑制されることは、いい事に決まっている。
しかし、かねてから明確な処罰が決まっている物理的な暴力も、厳罰化されているからといって根絶されはしないように、言葉による暴力も消えることは決してないだろう。
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SNSでの攻撃が要因で若い女性が命を絶った、という報道がされ「言葉は凶器になる、何を言っても許されるなんてことはない」という声が、これまで中傷被害にあってきた人たちから多数あがっているようだ。
「日本には、言葉自体に力が宿るという言霊信仰が古くからあって…」と語るコメディアンは「だから汚い言葉を発した者にも災いはかえってくるんだ」と続けて言ったらしいが、確かに「返り(かやり)の風」という呪い返しの現象が、呪術信仰の盛んな地域では術者達から恐れられていたらしい。
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古事記では、イザナミがイザナキに「お前の国の民を毎日1000人呪い殺してやる」と呪詛の言葉を吐き、対してイザナキが「ならば私は日に1500人の民を産んでみせよう」と応報する下りがある。
古事記にそのままあるように、呪いとは、呪うという言葉そのもので、それに反駁する言葉そのものが、呪詛返しになる。
だから「わたしにとってそんな悪口は、タダの言葉だ!」という反駁だけでも、心を守る効果はあるのだと思う。
「私はまだこの世に用があるのだ!」という自らへの宣言は、心の死を遠ざけてくれるのではないかと思う。
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スティーブン・キングの「痩せゆく男」は、アメリカ人が描く言霊小説とも言える。
非道な事をした男が、言霊の宿る呪詛で報いを受ける。
自動車事故の加害者の白人男性が、被害者一族のジプシーの老婆に頬を撫でられながら「痩せる」という一言を浴びせられただけで、じわじわとミイラほどにも際限なく痩せ続けてしまうのだ。
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英語圏では一方で、肯定的な言葉には言霊的な力があると信じられているようだ。
”the power of words”というその概念には、「下手くそ」という言葉を「努力が必要」に言い換えるなど、ネガティブワードを自分にも他人にも使わないという、実用的な智慧も含まれるらしい。
海外の人のこうした工夫は、称賛されるべき、学ぶべき取組みだと思う。
言葉の表現を磨くことをなおざりにしがちな日本人が、それに無自覚にネットやSNSを得てしまったことは、車道を作らずに農道をそのまま車道兼歩道にしてしまった歴史的愚策と、同じ禍根を見る気がする。
道路事情の改善はもう難しいが、ネットリテラシーや、それぞれのスタイルのある言葉の獲得は、今回の痛ましい事件を胸に、これからでも大いに学んで磨いていかなくてはならないと思う。