犬に見られている時間
猫は顔を背けて耳だけこちらに向けていることも多いが、犬はそういう器用なことはできない。
関心の的には、目も鼻も耳も向いてしまう。
犬はいつでも待っている。
嬉しいことを。楽しい時間を。こころ弾む出会いを。
よく眠っているように見えても、「さんぽ!?」とか「リンゴ!?」とか、わずかな可能性にかけて飛び起きる。
期待はたいてい空振りに終わるのだが、犬は決して拗ねたりしない。
「違ったかぁ(笑)」みたいな感じでまた寝床でくるりと丸まる。
拗ねず僻まず、生まれてから死ぬまで通奏低音に明るさがある。
犬のそうした心根、向日性に私は憧れ、犬を尊ぶ。
犬はいつでも待っているから、犬はいつでも私を見ている。
さんぽもリンゴも、私がきっかけだからだ。
眠くても、がんばって起きて、私を見ている。
犬くらい私のことを見ている生き物は他にいない。
猫は、冒頭にも書いたように、こちらの様子をうかがい続けても気にしていない素振りをするので、あまり直視してこない。
遠い記憶のなかの交際相手達も、元妻も、父も母も友人達も、犬に比べたら私のことなど見ていないにひとしい。
私の近しい人間たちの、何倍も犬は私を見る。
犬の眼には、私の残像が焼き付いてしまってやしないかと思う。
犬の生涯で、最も見るものは、きっと私だ。
心底、すまないと思う。
けど、しあわせに思う。
私も負けじと犬を見て、
犬の眼の中の私を見る。