児相の福祉司になれなかった理由
私は児童相談所で働く児童福祉司になるために福祉系大学に進学しました.
児童虐待に最前線で対応する、こども福祉のスペシャリスト.
私も何度も助けられてきて、逆に助けてもらえなかったこともあって、自分の経験を活かせる児童福祉司になりたいと思っていました.
児相の福祉司を諦めた理由
児相の福祉士になるためには、基本的には社会福祉士の資格を取得しなければなりません.(児童福祉司任用資格というのもあるので一概ではない)
社会福祉士の資格を大学で取るためには、演習や実習といった必修の科目がものすごくあります.
そのどれもが、非常にリアルで生々しいものでした。
想像以上にリアルすぎる演習テーマや講義内容に、当時の私のメンタルは耐えられませんでした。
リアルな演習テーマ
社会福祉士は、子どもだけでなく高齢や障害といった福祉全般に関する資格なので子どものことだけ学ぶわけではありません。
だからそっちはよかったんだけど、、、
児童虐待に関する講義ではリアルな映像や新聞などを見る機会があって、
虐待やDVの映像(作られたものだけど)や実際に起きた虐待死に関するニュースの考察をチームで行ったりしました。(どうやったら虐待死を防げたか、など)
そういうリアルな講義で私は何度もフラッシュバックしてしまったんです。
講義でそんなんじゃ現場でやっていけるわけがないですよね。
でも、大きな音や怒鳴り声が鳴り響く映像や虐待死してしまった子どもが残したメッセージなどを授業の中で真剣に受け止めてしまうと私の心は持ちませんでした。
※講義内容は大学によって変わります。私の大学は、なるべく実践に近い形で、というスタイルでした。必修科目は名称が違うだけでどこも同じです。
感受性が高すぎる
そして、そういう講義をふざけてちゃんと受けていない生徒や、心無い意見を言う生徒もいました。
そういう人たちに、「こんなに悲しいテーマを扱っているのになんでふざけているんだ」と苛立ちで苦しくなってしまいました。
悲しいテーマを扱うときには涙が出てしまうこともありました。
夢を諦めた決定的な講義
それは、「虐待する親には親の苦しみがあるから、その親の支援をしよう」という講義でした。今のわたしなら、当時よりもそのことについてよくわかっていますが、、。
当時私は教授が「虐待する自分の親の肩を持っている」「虐待は仕方ないと思っている」「虐待する親の味方なんだ」と強く思ってしまいました。
親の味方をするような福祉士になりたくないって思ってしまって、当時まだ虐待家庭のの渦中にいた私には苦しい講義でした。
児童相談所は親の敵じゃない、子どもを守りつつ家庭を守る機関。
それなのに、当時の私は「子どもを守りたい」という気持ちだけが先行していて、
児童福祉司について間違った知識を持っていた上にメンタルの成長が追いついていませんでした。
講義でこれでは現場はもっと無理か
自分の精神状態を保つためにも諦めようと思いました。
児相の福祉司でないのなら、社会福祉士を取得できなくてもほかの福祉系資格で福祉職として働けます。なので私は独学で、保育士や介護士、子育て心理カウンセラー、その他様々な福祉系の資格を習得しました。
(必要単位はとってあるので、将来的に実務経験と試験で社会福祉士を取得できたらいいなと思ってます)
そんな中在学中に出産結婚もしましたが、福祉職に携わりたいという気持ちは全く諦めていなかったので、気合いで資格取得とストレート卒業を果たしました笑
児相の福祉司はまだ難しいけど
まだ娘も小さいし社会福祉士も持っていないから無理だけど、いろんな経験をして、子ども福祉に他の形で携わって、いつかは児相で虐待から子どもを守る最前線で働けたらいいなと思っています。