選択の重要性

『ジキル博士とハイド氏』を最近読んだ。
大学生にもなれば一度は聞いたことのあるスティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』。最近この話を読んで色々なことを思ったのでそれについて書こうと思う。

あらすじ

舞台はヴィクトリア朝時代のロンドン。
ロンドン紳士であり弁護士でもあるアタスン(アターソン)は親類のエンフィールドから奇妙な事件を聞く。それに興味を持ったアタスンは事件の犯人『ハイド』の正体を突き止めるためハイドが出入りするというジキル博士の研究所の門戸を見張る。謎の男になかなか会えないが、ある日醜い男がアタスンの目の前に。ついにその素顔を目の当たりにするが、どうやら彼はアタスンの知人でもありロンドン1の紳士の一人ジキル博士の知人である。アタスンはこんな醜い男があんなに高潔なジキル博士となぜ親しいのか訳がわからなかった。
(中略)
さまざまな事件を通してハイドの残虐非道な行為が顕になる。そしてジキル博士にも異変が起き…
ついにアタスンは意を決し、ジキルの研究所へ突入する。そこには自死したハイドの姿とジキルの驚くべき告白が。
告白文を通してジキルの目線から真実が話される。
↓↓
ある日ジキル博士は悲劇をもたらす薬を開発する。その薬こそジキル博士の中にある悪の心(ハイド)を呼び起こす薬だった。その後はジキルにも自身の快楽のまま非道のかぎりを尽くすハイドの制御が徐々にできなくなり…

人間の中にあるもの

『宇宙最大の謎は人間の心だ』-ユヴァル・ノア・ハラリ-
19世紀、宇宙最大の謎を社会に提起したスティーブンソン。ここから見出すものは、人間の欲望と禁欲だ。

ジキル博士の告白文には、ことの経緯と共に自身の心中が書かれていた。
資産家の家に生まれたジキル博士は親の期待を胸に勉学に励み成功をおさめた。しかし、その人生は禁欲そのものだった。
ジキル博士が長年押さえつけてきた快楽の反動は、心の奥底の堤防を決壊させ法に背く形で出現した。
そしてそんなハイドをジキル自身は憎悪と愛情を持って接していた。

ハイドという存在は突然生まれたわけではない。
ジキルの中にあった欲望の断片が、薬の服用をきっかけに
もう一つの人格としてあらわれたに過ぎない。

自分で選択する重要性

人生における大事な選択において、自分で選択することがいかに大事かということを考えさせられる。
ジキルは両親の選択によってしか自分の人生の指針を決められてしまった。
社会的には学者、医者、博士として成功した。
しかし、自分の生き方に納得はしていなかった。

選択をするその一時点では
誰かに選択を任せることで楽になるかもしれない。
だけれど後になって、その選択に対して自分は自信を持てるのだろうか。
その後の失敗や苦悩を選択した誰かのせいにしないだろうか。

自分で決めるということが
未来の自分に対して責任を負う行為であり、その責任によって現在という一瞬一瞬を一生懸命に生きられるのではないだろうか。

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